2011年フランス旅行 4日目

2011年10月26日(水)
コルマールで宿泊したホテル。


朝のコルマール


列車でベルフォールに移動


車窓から(朝霧と陽光が幻想的だった)


ルフォール


駅前でレンタカーを借りる。オフィスのおばちゃんが気のいい人だった。出してくれた車(ピカピカの新車)を見て、「あっ、フィアット・プントだ」というと、「そう、よくわかるわね」という。「ガソリンはどうするの? 入れて返すの?」と聞くと、「どこまで行くの? 一日中乗る?」と聞き返してくる。「ロンシャンに行って帰ってくるだけ」というと、「ああ、それなら近いからそのままでいいわよ」と太っ腹の応えだった。


片側一車線のロンシャン街道を行く。右側通行なので危なっかしい。(途中にはロータリーもあったが、何とか脱出できた。)

30分ほどで礼拝堂に到着(礼拝堂の丘から振返った街道。中央部に見える白い道)。


ロンシャン礼拝堂」で、半日を過ごす。


礼拝堂内に入って中の光に感嘆していると、専門家らしい人(たぶん来ていたリセの生徒たちの引率の先生)がわざわざ近寄ってきて、「ほら、あの窓の光がそこに落ちているだろう? あの光は時間が経過するとそのあたりまで移動するんだよ」などと教えてくれた。


ちょうど12時になり、昼の礼拝が始まった。礼拝堂に来て参加しない手はない。早速、祭壇を囲む数人の輪に加わった。(幼稚園の頃に賛美歌を唄った経験がこんなところで役立つとは思わなかった。)神父さんの言葉と賛美歌の残響が天井へと消えていく。この響は心地よかった。こうした音響効果も計算して設計された空間なのだろう。

典礼のパンは硬めのウェハースか南部塩せんべいのような食感で、ワインは意外なことに赤でなく白だった(土地柄か)。こんなことが判ったのも、現地に来て礼拝に参列したからこそだろう。


ルフォール市内に戻り、要塞・ライオン像を見学する(ここは普仏戦争だったか第一次大戦だったかの折に、ドイツ軍を撃退した要塞で、フランス国民の誇りとなっているところだそうだ。そのシンボルであるライオン像は、この地に工場のある自動車会社プジョーのマークにも使われている。)


要塞の上からロンシャン礼拝堂方面を眺める。


レンタカーを返しに行くと、朝のおばちゃんが居て「運転、難しかった?」と聞かれた。「いや、そんなに難しくなかった。簡単だった」と応える。「昨晩、雨だったみたいで、車内を少し汚しちゃった」というと、「ああ、洗うから全然問題ないわ」という。気持ちよくオフィスを後にした。

(パリのホテルの学生アルバイトも、マルセイユやマントンのホテルのおばさんも、働いているフランスの女性は皆、親切で気さくな、いい人ばかりだった。)


列車でディジョンに出て、そこからTGVでリヨンへ移動。(車内で夕食)


乗換えのディジョン


パールデュー駅前のビジネスホテルにチェックイン(3泊)

2011年フランス旅行 3日目

10月25日(火)

早朝のパリ東駅


TGVでシュトラスブールまで行き、各駅停車に乗り換えてコルマールへ移動


アルザスの車窓から


車内の光景


この旅行のために買ったスマフォ(カーナビの代用)とデジカメの機能を車内であれこれ操作してみたのだが、これがとんだ落とし穴だった。デジカメでマクロ(近接撮影)を試したまま元に戻すのを忘れていたようで、この後の写真、特にウンターリンデン美術館とグリューネヴァルトの「イーゼンハイムの祭壇画」の写真がすべてピンボケになっていた。残念としか言いようがない。


古風なコルマール駅(レンガ造りだと思う)


駅前の3つ星ホテルにチェックイン後、ウンターリンデン美術館を見学。


グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」


コルマールの街と運河を散策。「小ベニス」と言われるだけあって、街並みが美しい。観光バスもまるでおとぎの国の乗り物だ。この街はもっと人気が出てもよいように思う。


こんな街にも日本料理店があるので驚いたが、入口に掲示されていた写真からすると、寿司、天ぷら、ラーメンなど何でも出す店のようだった。経営者は日本人ではないのではなかろうか。「日本料理とはこういうものだ」と思われているとすると、少し憂鬱だ。


市街のレストランでアルザス料理(シュークルートにキッシュなど)を堪能。

2011年フランス旅行 2日目

10月24日(月)
暁のレアール駅入口


朝のサン・ラザール駅。


当初の予定ではルーアンに行くつもりだったが、切符売り場の混雑で8時20分発の急行に乗れず、次は10時20分発となるので、急遽予定を変更、各駅停車でオヴェール・シュル・オワーズに行き、ゴッホセザンヌらの制作の跡をめぐることにする。(駅構内を右往左往した挙句、反対側のローカル線の切符売り場に引き返して再び行列に並ばなければならず、結局1時間くらいロス)


パリの車窓から


オヴェール・シュル・オワーズ駅


ゴッホ画「オヴェール役場」と現在の役場


ラヴー亭



オヴェール村への路(コロー画、セザンヌ画と現在の姿)


オヴェールの館(ゴッホ画と現在の眺め)


セザンヌ「首吊りの家」と現在の姿


オワーズ河畔にて


オヴェールの教会


ゴッホ「鴉の舞う麦畑」


オヴェールの共同墓地とゴッホ兄弟の墓


列車でパリに戻り、ノートルダム大聖堂を見学


セーヌ河畔を散策


一日中歩いて疲れたので、レアール駅の地下街でシアトル系の喫茶店に入る。日本と同じ「コーヒーフラペチーノ」があったので頼んだら、釣り銭に小銭をどっさりよこした。睨みつけてみたが、店員の若いお兄ちゃんは素知らぬ顔で(故意にやっているのだから当然だが)、思わず小銭を投げつけてやろうかと思うほど感じの悪い態度だった。

このチェーン店、店内の雰囲気は比較的よいが、肝心のコーヒーの味は苦いだけで風味が無いし(米国で焙煎した豆を世界各地に送って使っているのだそうだから、当たり前だ)、店員の教育も不十分なので、日本でもなるべく入らないようにしているのだが、フランスの店の酷さは日本の比ではなかった。


ホテル近くのパサージュ


パサージュ前の広場に面したカフェで夕食。またしても外れだった。

2011年フランス旅行 1日目

10月23日(日)午前0時35分 羽田空港発(JAL便)


同6時20分 パリ シャルル・ドゴール空港


REN B線でパリ市内に移動(車内から見た朝焼け。期待が膨らむ)


地下鉄レアール駅着。出口を間違え、通りを探してうろつく。途中、唯一開いていたカフェ(マック)で朝マック。クロワッサンと暖かいコーヒーにありつけて有難かった。


レアール駅近くのホテルにチェックイン(2泊)(外壁を工事中で、なかなか見つからず、30分ほどあたりをうろうろ)


何をおいても「サヴォワ邸」を見たいというのが友人の要望だったので、荷物を置いて早速、地下鉄でポワシー駅へ移動。


ル・コルビュジェ初期の傑作「サヴォワ邸」を見学(駅から歩いて15分ほど)。


ポワシー駅に戻る途中で、レストランかカフェが無いか捜したが、もともと住宅街の上、日曜日で空いている飲食店がない(中華料理店が開いていたが、とても入る気がしない店)。やむをえず駅のカウンターで昼食(クレープを頼んだつもりだったが、メキシコ料理かお好み焼きのような感じ。パリ初日の昼食としては冴えない)


地下鉄で国際学生都市駅へ移動。「スイス館」「ブラジル館」を見学


スイス館(外観と部屋)


ブラジル館


地下鉄でホテルまで戻り、オペラ座付近を散策。カフェで夕食(これも外れだった)


夜の噴水

2011年フランス旅行 発端と旅程


友人の建築家に誘われ、ル・コルビュジェの代表的建築を見学してきました。
途中、私の希望でゴッホ兄弟、セザンヌデュシャンの墓参りなども入れ、足掛け13日にわたる巡礼の旅となりました。
(10月23日(日)午前0時過ぎに羽田発、11月3日(木)早朝7時前に羽田着)
主な日程は以下の通りです。


10月23日(日)
パリ市内の「サヴォワ邸」、国際学生都市(「スイス館」「ブラジル館」)を見学。
オペラ座付近を散策。


10月24日(月)
オヴェール・シュル・オワーズ観光(ゴッホセザンヌらの足跡を辿り、ゴッホ兄弟の墓参り)。
パリ市内に戻りセーヌ河畔を散策。


10月25日(火)
パリからコルマールへ移動、ウンターリンデン美術館を見学。
コルマールの街と運河を散策。


10月26日(水)
コルマールからベルフォールに移動、「ロンシャン礼拝堂」を見学。
ルフォール市内観光後、リヨンに移動。


10月27日(木)
ラ・トゥーレット修道院」を見学。
リヨン市内の遺跡、教会、旧市街を散策。


10月28日(金)
「フィルミニの教会」「陸上競技場」「屋内プール」「共同住宅」などを見学。
リヨン旧市街、ソーヌ河畔を散策。


10月29日(土)
リヨンからマルセイユへ移動。「マルセイユ共同住宅」見学。
マルセイユ旧港、市街を散策。


10月30日(日)
マセイユからレンタカーで、エクサン・プロヴァンスへ。
セザンヌのアトリエとレ・ローヴの丘を見学。墓参り後、サント・ヴィクトワール山麓のトロネ街道を行く。
高速道路でコート・ダジュールをカンヌ、アンティーブ、ニース、モナコと横断し、イタリア国境の街マントンへ。


10月31日(月)
マントンから海岸沿いの路を抜けてロクブリュヌ=カップ・マルタンに戻る。「ル・コルビュジェの別荘(小屋)」を見学。
丘の上のル・コルビュジェ夫妻の墓にお参り。(エズを観光した後)ニースでレンタカーを返し、TGVでパリに戻る。


11月1日(火)
朝、サンラザール駅からルーアン駅に行き、マルセル・デュシャンの墓に参る。
ルーアン大聖堂、ルーアン市街を散策。パリに戻り、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場などを散策。


11月2日(水)
シャルル・ドゴール空港11時発 3日午前6時55分羽田着。

近況(その3)

ご無沙汰しております。その後病院通いを続けた結果、(医者によって見解が異なるのには閉口しましたが)何とか「半年後の再検査」で勘弁してもらえることになりました。どうもご心配をおかけしました。

といっても、あいかわらず体調があまり良くなく、先週の金曜日(雪の降った寒い日)など、某シンポジウムを聴きに出かけたものの、会場に着いた頃には頭痛がしてきて、そのまま引き返す羽目に陥ってしまいました(帰宅後、そのまま寝込んでしまいました)。
加えて花粉症の症状がひどく、毎年恒例の数字合わせの作業もあるので、引き篭もり状態を続けております。

こんな中、以下の展覧会には行ってきました。(付き添ってくださった方に感謝いたします)

東京国立博物館妙心寺」展。如拙の国宝「瓢鯰図」の穏やかな光に唸り、また狩野山雪「老梅図襖」の奇妙な構図(枝振り)に参りました。
併せて「福沢諭吉」展も拝見、巧みな構成と豊かな展示内容に脱帽しました。

横田茂ギャラリー「岡崎和郎 林檎―ウィリアム・テルによせて」展。いつもながらオブジェは緻密に作りこまれ、全体の構成もユーモア溢れていました。何人かのファンで岡崎さんを囲み、しばらく歓談しました。

東京国立近代美術館高梨豊― 光のフィールドノート」展。まず展示されている写真を観て、次にリーフレットの解説を読み、再び作品を見直す、ということを続けながら、改めて写真家が作品を生み出すに至る思考の深さを実感しました。(ちょうど高梨さんが会場にいらっしゃったので、ご挨拶して図録にサインをいただきました。)

お茶の水画廊&淡路町画廊「画刻展」。堀正明・東千賀・藤山ハン・伊藤俊の4人の作家によるグループ展。やはり藤山ハン画伯の「シュルレアリスムの殉教者」と題された瀧口修造肖像画が印象に残りました。藤山画伯のお話では、1979年の死去の直後に描かれた作品だそうです。


その他、テレビを観ていても腹の立つことばかりで、相変わらず血圧が上がりっ放しです。
例の日本郵政に対する総務大臣の横車には、まったく呆れるというより笑っちゃいます。周りの丸ビルも新丸ビルも、みな取り壊して建て替えたのに、東京中央郵便局だけを残したところで、ほとんど意味はないでしょう。今頃「重要文化財級の建物だ」などと強弁しているようですが、それなら国はいままで維持・保存・修復のために、どういう努力・支援をしてきたのでしょうか? 単に(総務省の役人の天下り先を確保するために)民営化を覆そうとして、役人が入れ知恵したとおり、無茶苦茶な言いがかりをつけているとしか思えません。

民主党の小沢代表への西松建設側からの政治献金問題も、政治的な匂いがプンプンしますね。何らかの便宜供与を図った収賄事件というならともかく、単に政治資金収支報告書の記載に誤りがあっただけのことで秘書を逮捕するなどというのは、過去の悪質な政治献金事件に比べてあまりにも大げさな感じです。
たとえば遠藤農水大臣に対する、国の補助金を受けた農業組合からの政治献金や、松岡農水大臣に対する、緑資源機構の受注業者からの政治献金の方が、はるかに悪質で重大な問題でしょう。こうした事件に対して東京地検特捜部が最後まで動くことがなかったのに比べると、著しくバランスを欠いています。

低額給付金の給付が始まったというニュースで、貰っている人(主に老人)がニコニコしている映像なども、見たくないですね。元々の原資は我々の納めた税金なわけですし、この程度のお金を配って、一体どうしろと言うのでしょう? 2兆円の予算を割くなら、無駄で不要なダム・河口堰・空港・港湾の取り壊しなど、もっとまともで意味のあることに使ってほしいものです。(私なら、給付金の替わりに「消費税据置き券」でも貰ったほうが、はるかにうれしいですね。)こういう映像を平気で流しているマスコミの神経が疑われます。

近況(その2)―病院通いと「かんぽの宿」

2月6日(金)最近、いくつかの病院を訪ね歩いていますが、病院によって応対が全く違うのには、驚いています。昨日訪れたところ(かなり大きな民間の総合病院)は、酷かったですね。何よりも受付の女性の感じが悪い。笑顔が無いのは、忙しいのでしょうから仕方ないとしても、パソコン操作ばかりに神経が向かって、患者の方に顔を向けることもしない。挙句の果てには「まずご自分で血圧を測定してください。そこに血圧計が…」と、あごで方向を指示する始末。呆れてしまいました。
診察の前から、「これは期待できないかなぁ・・・」と思っていたら、まさに予感も的中。診てくれたのはこの分野のパイオニアの一人と言われている(かなり有名な)専門医で、説明はそれなりに詳しいのですが、こちらの話に耳を貸そうとしない。せっかく紹介状をもらって出かけたのに、聞きたいこともろくに聞けず、門前払いのような感じでした。しかも、こちらが持参した画像を「これはお返ししないといけないですか?」などと訊いて来るとは、どういう了見なのでしょう。せっかく貴重な時間を割いて行ったのに、まったくの無駄足でした。


ところで話は変わりますが、最近気になっていることの一つに、「かんぽの宿」の売却問題があります。総務大臣が「形だけの入札で、出来レースだ。売却価格も安い!」と騒ぎ始め、マスコミも世論もこのパフォーマンスに乗せられて同調するものだから、すっかり調子づいているようですが、100億円もの値段を「安い」なんていうのは、ビジネスを知らない人の言い草でしょう。
私が最初にこの金額を聞いたときに感じたのは、「へえっ! このご時勢によくそんな高い値段で売れたものだ。買った企業は大丈夫だろうか?」というものです。(普通のビジネスマンなら誰でもそう思う、ごく当たり前の感想だと思いますけどね。)
個別に売ろうとしても、いいところだけつまみ食いされるのは目に見えているわけで、(赤字の事業)全体を一括で処分できて、しかも100億円以上で買ってくれるなんて、日本郵政にとっては願ってもないことのはずです。おまけに、聞けば従業員ごと、つまり事業を継続するのが前提だという。これこそ渡りに船、ほとんど奇跡とも言えるような好条件でしょう。
購入価格が何千億円か知らないけれど、その後、長年使用して、建物の減価償却も進んでいるのだから、購入価格と比べるなんてナンセンスの一言(比べるとしたら売却時の簿価でしょう)。何よりもこの「かんぽの宿」は、毎年40〜50億円もの赤字を垂れ流しているそうなのですから(金額の詳細は不明ですが、70箇所で一箇所あたり数千万円。まあ、ありそうな線です)、1年遅くなればそれだけ赤字が積み重なるわけで、早めに売却処分して本業に集中しようというのは、民間企業の経営判断として、ごくごく当然でしょう。(赤字を出されると、株主である国と国民の財産がそれだけ毀損されるということくらい、小学生でもわかりそうなものですけどね)
問題にしている大臣や与野党の議員さんが世間を知らないのか、あるいは何か政治的な意図があって知らないふりをしているのかわからないけれど、少なくともマスコミ各位は、もう少し世の中のこと(特に経済のこと)を勉強する必要があるでしょう。こんな政治的なパフォーマンスに惑わされて売却手続きや価格を問題にするより、そもそも元の郵便局がどうしてこんな無謀な事業に手を染め何千億円も資金を注ぎ込んだのか、そのこと自体を問題にするべきだと思います。(想像するに、「私の仕事館」や「グリーンピア」と全く同じ構図で、総務省の役人の天下りポストの確保と郵便局職員の退職後の再雇用のためだったのでしょうね。「かんぽの宿」に天下り総務省出身者がどのくらい居るのか知りたいものです)。
売却問題を煽るのは、彼らの地位・待遇を維持しようという目的があるのは、まず間違いないでしょう。また、元の用地選定・購入・工事発注にはおそらく大臣や議員が関与していたのでしょうから、売却の方にも関与して、おこぼれに預かりたいのではないでしょうか。(現に、総務大臣とは別の現職の某大臣は関西の某グリーンピアの売却に一枚噛んでいたはずです)。旧郵便局長・局員の票を狙っているのが見え見えというところも、卑しいですね。(あわよくば国民新党の連中を取り込もうという意図も、ほの見えて来ます)
尻馬に乗って、首相まで郵政4社分割を見直すと言い出したそうですが、郵政民営化と金融再生は小泉・竹中コンビの最大の功績のはずで(もちろんこのコンビの政策にはいろいろ問題もあったでしょうが)、何よりも前回の総選挙で与党が国民の圧倒的な支持を得たのは、郵政民営化を進めるという公約のためだったのだから、これを覆すのなら、それこそ早く総選挙を実施して国民の信を問うべきでしょう。
こんなニュースばかり聞かされていると、こちらの血圧は上る一方です。これじゃあ、頭痛が良くなるわけがないですね。