「ミュージアム 拓く」?

こういうタイトルの記事が先週の日本経済新聞に連載されていた。この連載は、前にコメントした「美術館の実力調査」と一体のもので、熊本市現代美術館、砺波市美術館、ふくやま美術館、水戸芸術館神奈川県立近代美術館の5つの公立美術館を採り上げ、その運営方針や活動内容を具体的に紹介しているのだが、結論を先に言えば、前の「実力調査」同様、この記事の立場に疑問を抱かざるを得ない。

これらの美術館の姿勢や努力には、もちろん深甚の敬意を表するものであるが、今の公立美術館の置かれている状況の厳しさは、このような個々の美術館の工夫や努力といったものでカバーし得る次元のものか、かなり疑わしいと思う。そうした前提条件を問題にすることなく、これらの「好事例」を記事にするのは、置かれた環境がいかに劣悪であろうとも、運営の仕方次第では、地元に受け入れられ入館者も増加させることができるということを、暗黙のうちに主張することになるのではないか。

その結果として予想されるのは、自治体の側の当事者意識の希薄化と運営の無責任化、およびこれと表裏一体となった、美術館に対する一方的な努力の要請と責任追及だろう。今もっとも重要なのは、自治体として、何のために美術館を造るのか、または造ったのか、この目的を原点に立ち返って再確認することだと思うのだが。



ところで昨日は、松濤美術館で開催されている「迷宮+美術館」展にご招待いただいた。先年亡くなった砂盃富男氏の個人コレクションを紹介する展覧会。版画を中心とする400点以上のコレクションから約130点が展示されている。シュルレアリスム系統がお好きだったようで、マッタ、ラム、ブローネル、ベルメール、フィニ、タニングなども含まれている。だが、コレクションの中心となるのはもちろん日本の作家で、中でもつい先日亡くなられた美術家松澤宥さんのオブジェや初期の平面は、はじめて見るものだ。(図版はマッタ「ホメロスⅠ世」)

                 

生前、何度かお目にかかったことがあり、会えばご挨拶申し上げるというお付き合いだったのだが、会場で未亡人から、今年刊行された遺稿詩集まで頂いてしまった。私以外の来場者は、なかなかの顔ぶれが揃っていた。高名な美術評論家Nさん、松澤さんを扱っていたO画廊のOさん、現代美術資料の貴重な蒐集をされ、美術コレクターでもあるSさんなどなど。生前の交友の広さが偲ばれる。こうした展覧会が開催できるとは、まさにコレクター冥利に尽きることであり、砂盃さんも草葉の陰でさぞ喜んでおられることだろう。

だが、図録に寄稿しているS画廊のS氏のテキストは頂けない。砂盃氏との30年の交友を振り返るという趣旨のタイトルとは裏腹に、具体的な交友の模様にまったく触れられず、砂盃氏の著書の引用でお茶を濁すしかないのは、むしろ付き合いがいかに表面的だったかを物語るものだろう。おまけに、S氏自らの展覧会を宣伝し、例によって「瀧口先生に教えていただいた」という趣旨の記述で権威付けをする始末。

瀧口さんのクレーに対する思い入れや、マン・レイのオブジェへの高い評価、さらにはミロやダリなど7人の画家に捧げられた瀧口さんの「七つの詩」の存在なども知らなかったのだから、「教えていただいた」などとは到底言えないはずだ。「臆面も無い」というのはこのことだろう。S氏のやっていることは、要するに瀧口修造の名前を商売に利用しているに過ぎない。こういう権威付けを最も嫌ったのが瀧口さんであるはずなのだが。

しかもご丁寧なことに、このS氏による「友人砂盃氏の思い出とコレクション」と題された講演会が予告されているのだが、この図録への寄稿の中では、講演は「美術行政はこれでよいのか」という内容にするなどと述べている。「美術行政」ねえ…。元々このS氏は、美術館相手にかなりオイシイ商売をしてきて、しかも、ある大口の投機的な取引に失敗して、自らの画廊を閉じる羽目になったのではなかったのか。こういう人物が「美術行政 云々」などというのは、おこがましいことのように思われる。テキストを一読して、寒々とした気分になってしまった。せっかくよい展示だったのに、まことに残念だ。

ご招待いただいておきながらキツイことを言うようだが、この図録のテキストと講演会については、美術館側の見識も若干疑われるだろう。という訳で、やや後味が悪くなってしまったので、もう一度、素晴らしかった展示を振り返り、砂盃さんのあの笑顔を想い起こすことにしよう。