初夢の話

1月2日(火)。曇り。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
縁起のよい初夢としては、「一富士、二鷹、三茄子」ということになっているようだが、この初夢とは、元日の朝ではなく、元日の夜から二日の朝に見る夢のことらしい。今朝は起きたとき、何となくもやもやした妙な気分に陥っていて、これが夢の中の雰囲気の続きだということはわかった。だが具体的な場面などを思い浮かべることができない。まあ、その方が却ってよかったということもあるだろう。
今朝に限らずこのところ、目が覚めた直後には確かに夢を見ていたことは覚えているのだが、どういう夢だったかは思い出せないことが多い。昔は、起きた直後に忘れてしまっていても、その後のふとした瞬間に夢の内容や場面が蘇って、何故その日は妙な気分に陥っていたのか、一瞬にして了解したというようなこともしばしばあったものだが、最近は、こういう体験もあまりない。夢を思い出すメカニズムも、着実に老化しているのかもしれない。
そういえば、かつては瀧口修造の夢をよく見たものだ。瀧口さんの最終講義なるものを聴きにいって、一番前の席に座っていたら、講義の途中で瀧口さんの具合が悪くなって倒れ、必死に抱き起こしたという夢。また瀧口さんがにこにこ笑いながら、菓子パンを乗せた両手の掌を差し出して、プレゼントしてくれた夢、などなど。最近はあまり見なくなったようだ。これはやはり瀧口修造に対する熱意が薄れてきたということなのだろうか? そうは思いたくないものだが・・・
「夢に周公を見ざること久し」というような言葉もあったようだが、どういう文脈だったか。年初に論語の一節を読んでみるのも悪くはないだろう。