○○の秋
8月某日、横須賀の某所で能を観る。恒例の蝋燭能も今年で3回目となった。S席4000円とは、相変わらず超リーズナブルだ。今年の番組は狂言「二人袴」、蝋燭能「一角仙人」他。「一角仙人」は歌舞伎の「鳴神」の元になった曲だそうだ。蝋燭の炎が妖しい雰囲気を醸し出していた。その最後の場面、つまり復活した竜神が大立ち回りの末に一角仙人を撃退する場面では、照明によって雨まで降らされていた。設備が整った劇場だと、こういうことまでできてしまうらしい。効果を挙げていたのは確かだが、能の表現はもっと簡素で抽象的なはずではなかっただろうか。若干の違和感が残った。
8月某日、ようやく待望の秋の気配。近所の居酒屋の日替り定食にも「さんまの塩焼き」が登場した。これで早めの昼食にした後、鎌倉へ。小町通りでは、蜂蜜ソフトクリームの誘惑を辛うじて振り切り、八幡宮の方に歩いていくと、東京都現代美術館のSさんとバッタリ。(ソフトクリームを買わなくてよかった。食べながら歩いているところを危うく目撃されるところだった。)美術館からの帰り道だそうで、「今日は涼しいから、久しぶりに美術館に」「やはり考えることは誰も同じですね。先日など上野で…」と、しばらく立ち話。「磯辺行久展にもぜひ来てください」と誘ってくださった。この後お寺を回るというSさんと別れ、こちらは美術館へ。
鶴岡政男回顧展もいよいよ今週限りだ。こうして画業全体を振り返ることができる展覧会は実にありがたい。「重い手」をはじめとする50年代の絵画は、いままでも観る機会があったが、60年代以降の絵画はあまり観たことがない。40年代後半のデッサン、60年代のパステル画も初めて観るものだ。富山近美から瀧口修造旧蔵の小さな彫刻とガラス絵の小品が出展されていた。カンディンスキー、クレーからアンフォルメルやポップアートの影響まで窺えるところや、40・50年代の重苦しい緊張感が、60年代のシニカルな調子、70年代のユーモラスとも言える画面へと変貌を遂げるところは、捉えどころがないとも時代を映すものともいえるかもしれないが、形態の把握と色彩の表現に確かな論理性がある点はきわめて一貫している。前期と後期で展示替えがあったそうだが、前期も見ておくべきだった。
駅まで戻る途中、小町通りの古本屋M堂で買い物をしていると(今月いっぱい2割引セール。全体的にやや高めの値付けだが、これなら買える)、表からざわめき声が聞こえ、やがて「毎度お騒がせします」と撮影隊が現れた。カメラの前でレポーター風の女性がゆっくり歩きながら何かしゃべっている。グルメ番組か旅行番組らしい。聞けば石原プロだそうで、なるほどそのロゴが書かれたワンボックスカーも目の前を横切ったが、車体に書かれたロゴを見ると、”Ishihara production”ではなく”Ishihara promotion”となっていた。石原プロの「プロ」が、プロダクションではなくプロモーションだったとは!「名は体を表す」か。