詩と詩論

11月某日、浜松町の横田茂ギャラリーを再訪。岡崎和郎展の最終日で、岡崎さんにお会いできるかと思っていたが、「昨日お見えになりましたから、今日はいらっしゃらないかも・・・」とのこと。楽しみにしていたのに、少しがっかり。
応接で美術家野村和弘さんと横田さんが談笑されていたので、話に入れてもらう。先日のゼロックス・アートスペースのタイポグラフィ展のことや今の美術業界、売れっ子作家、美術メディア、芸術学の学生のことなど、話題は尽きない。小一時間話したところで、野村さんが「そろそろ引き上げます」いうので、私もギャラリーを出ることにし、岡崎さんの作品をもう一度拝見する。帰りがけに横田さんからゼロックス・アートスペースの研究紀要をいただく。無言の励ましと考えて、ありがたく頂戴した。私も早くまとめなければ。
浜松町から地下鉄で六本木に行くつもりだったが、駅前の高層ビルの冷たいビル風に煽られると、「六本木に行くと遅くなるから、帰りはもっと寒いだろうなあ」と、気持ちも縮み上がり、結局、そのままJRで帰宅。
11月某日、午後から池袋まで出て、某所で開催された戦前のモダニズムの詩誌「詩と詩論」に関する研究会に出席する。若手の研究者・学生が中心だが、鋭い発表と活発な議論に、いつも啓発されている。当時の気鋭の詩人たちが、いかに悪戦苦闘しながら、欧米の新しい芸術の流れを消化しようとしていたか(あるいは消化不良に終わったか)が、よくわかるのだ。
この日は外山卯三郎と佐藤一英についてだった。佐藤は初めて知る人だが、外山は美術の世界でしばしば名前を見る評論家だ。外山が1935年に企画したオブジェ展に対して、瀧口修造が珍しく手厳しい批判を加えたこともある。詩の分野での活動を知ることができて、実に興味深かった。会の後、有志7〜8人でもつ鍋をつつく。トンコツ出汁にモツ、キャベツ、ニンニク、ニラの鍋。体が暖まった。