シングル・シンプルライフ

4月1日(火)、予定していた花見が3日に延期となり、急遽、世田谷文学館永井荷風のシングル・シンプルライフ」展を観ることにする。数年前まで千歳烏山あたりに住んでいたので、まずはその頃よく通った鰻屋で(遅めの)昼食。テレビで韓国ドラマ(どうやら「冬のソナタ」らしい)を放送していたが、あまり観ないようにして、努めて鰻とご飯に集中する。
食後、お花見を兼ね、蘆花公園まで少し遠回りをしながらぶらぶら歩く。どの桜も花びらがはらはらと散り始めていた。やがて文学館に到着、喫茶室で少し休んだ後、展示室へ。
40年以上にわたり書き続けられた「断腸亭日乗」の原本そのもの(20冊以上)を観ることができたのが、最大の収穫だった。ノートに綴られているのかと思っていたが、大半はノートの下書きから、さらに雁皮紙などで製本された帖面に浄書されているのだった。「継続は力なり」ということを実例で突きつけられた気がした。
会場は若い世代の女性の研究者の監修によって、「女性からみた荷風」という視点で構成されているようで、「永井荷風に学ぶ シングルを楽しく生き抜くための10箇条」として、次の10項目が挙げられていた(展示でも、この10項目の根拠となる箇所に解説が付けられていた)。
1. 毎日、ブログ(日記)を更新
2. スイーツはひとりじめ
3. ウォーキング(散歩)で身体を鍛える
4. ガーデニングで自然に触れる
5. シンプルクッキングで栄養バランスをとる
6. 趣味はカメラ
7. 気に入ったレストランは徹底活用
8. 金銭管理はしっかりと
9. 若い異性とつきあう
10.読書は長い友だち
番外.マイブームをつくる
こうして書き写すと、いかにも今風の(若干おしゃれな)イメージだが、荷風という人は実際には徹底して自分勝手な、底意地の悪いエロ親爺ではなかったのか。「若い異性とつきあう」といっても、クロウトの女性しか対象にしなかったわけだし、「日乗」にしても、あれだけ自分の生活・生涯に拘るのは、並大抵のエゴイズムではないだろう。ほとんどナルシシズムに近いかもしれない。
そもそも若い頃から、立身出世(や家庭生活)に背を向けて、軟弱なフランス文学に親しみ、江戸の文化や花柳界に視線を注ぐところなど、もちろん戦略的ではあるにしても、根底に何か屈折したものが感じられる。こうした中年・老年男のドロドロした薄汚さは、展示からはあまり伝わってこなかったような気がする。
(そういえば、先年、米国で開催された「コーネル デュシャン」展の図録"Joseph Cornell/Marcel Duchamp...in resonance"でも、生涯独身だったコーネルの、ややアブない少女趣味が透けて見え、憧れの人の見てはいけないところを見てしまったような気がしたものだ。どうも男性の独り者というと、自分に引き寄せて、その醜い部分に注目してしまうようだ。それにしても、デュシャンの生き方はお洒落で抜け目ないものだと、改めて感心する。)
このような気になる点はあるにしても、展示自体は、この「日乗」や初版本、原稿、書簡、蔵書のフランス文学書(サドも含まれている)、文房具、印章、鞄や洋服、眼鏡、蝙蝠傘、下駄、果ては炊事道具や行きつけのレストランのメニューに至るまでが(コンパクトに)並べられ、実に興味深く見ることができた。
会場内で1時間ほど立ち通しだったので、さすがに疲れ、会場の外のソファーで一休みしていると、若い女性が入り口から入ってきた。受付に向かって歩きながらこちらの方をちらりと見ると、向きを変えてすたすた近付いてきた。何と知り合いの方だった。驚いてご挨拶した(が、あまりに意外だったので、どうもソファーから立ち上がるのを忘れていたような気がする)。お休みなので展覧会をハシゴされている由。(10箇条を読んだばかりの勢いで)思い切って喫茶室にお誘いすると、こちらに合わせて「ちょうどコーヒーを飲もうと思っていた」などと言って下さった。しばらく最近の出来事や展覧会のこと、書物や漫画(特に細野不二彦の「ギャラリー・フェイク」)のことなどをお話しする。(こういうことがあるから、人生は楽しいのだ。)
その後、京王線で神保町に出て、T書店を訪ねる。だがこの日は棚卸しのためか、何と臨時休業だった。気をとり直して別の古書店を2〜3軒回り、夕食用のパンを買い込んでから、帰宅。