シュルレアリスムの宇宙と「古本年鑑」

4月20日(日)、昼前に外出。恵比寿の東京都写真美術館の「シュルレアリスムと写真」展の関連シンポジウム「シュルレアリスムの宇宙」を聴く。演題は次のとおり。各発表とも持ち時間30分では収まらない、ズッシリ重い内容だった。
第一部「シュルレアリスム美術をどう語るか」
1.早稲田大学 鈴木雅雄教授「<絵>と記号のあいだ―<図>としてのシュルレアリスム美術」
2.上智大学 林道郎教授「遠近法‐的‐空間について」
第二部「シュルレアリスムと複製文化」
3.早稲田大学 塚原史教授「メディウムからメディアへ―シュルレアリスムと写真の社会的射程を探る」
4.早稲田大学 千葉文夫教授「力動・痙攣・静止―写真の用法をめぐって」
ここ20年くらいの間、新しい研究成果が続々と生れているこの分野で、最も生産的な仕事を続けておられる方々が一同に会しただけあり(会場内にも最前線の研究者が多数)、各報告とコメント、会場からの質問までもが、出来あいの学説をわかりやすく解説するのとは全く異なる、刺激的で示唆に富んだ、創造的なものだった。この展覧会を企画した学芸員Jさんや関係者の熱意の賜物だろう。雑誌「水声通信」の3/4月合併号に続いて、7月号あたりで特集が組まれるそうなので、楽しみだ。シンポジウム終了後、関係者の2次会に同席させていただいた。気持ちのよい会だった。夜11時近くまで談笑。

4月21日(月)、午後から神保町に出る。新宿古書展を覗こうと、古書会館地下に降りると、ちょうど知り合いの女性古書店主が会場から出てくるところだった。目録を送っていただいているが、お目にかかるのはずいぶん久しぶりだ。ご挨拶し、前日のシンポジウムなどについて立ち話。
その足で、最近「すずらん通り」に移転した主に美術書を扱う古書店に寄る。1F・2Fの2フロアを使った、古書店らしからぬ整然とした店構えで、棚も見やすい。(向かいのパチンコ店の音がうるさいのが難点か。)「芸術新潮」のバックナンバーなど2冊を購入。元の古書会館近くの場所は、まだ後のテナントが入っていないようだが、居心地のよい喫茶店でもできないものか。
先日の籤引きの後始末のため、某書店を訪れる。これから地方発送と籤が外れた方への連絡を片付ける由。この後の企画や計画を聞く。「そんなことを考えておられるのか」と、意外な感じがした。
仕入れた本の中に混ざっていたという『古本年鑑』1933年〜37年版の4冊をいただいた(発行所は沼津市住吉町の「古典社」)。かなり痛んでいるが、各冊ごとに書き下ろされている序文や、毎年構成が変わる目次を比べて見ているだけで面白い。33年版巻頭の序文「古本年鑑」では、格調高く次のように謳われている。
「吾々は、読書家の手となり、足となる、読書の道具が、日本人に最も必要なもの、現在、吾々に欠けているものと考える。それ故に『古本年鑑』を創刊するに至ったのである。『すべての図書を知って、一の良書を択らべ!』とは吾々のモットオであるが、図書の、経済的、合理的買い方の攻究も亦、吾々の常に配慮している問題である。古典社が、全日本の生産的読書家の熱狂的支持の下に、古本利用の大衆化を実現するために、微力をつくしつつあるのは、この理由によるのである。今、ここに古本利用の全国的永久的機関としての『古本年鑑』を世に送るに当り、吾々は、古本屋各位に、一つの自覚を要求する。即ち図書の商人としての古本屋は、自由にして公正なる文献の供給者として、人類文化の向上発展の一部署を負担する者なるが故に、一種の詐欺的商業を営む書画骨董商とは、本質的に異なるものなる自負と自責とを持たねばならぬ。読書家との美しき相互理解の上に、古本業を繁栄させんとする者は、この自覚の上に、輝かしき古本屋道徳を確立しなければならぬ。さらば、吾々も亦々善良なる古本屋の、正当なる営業に,心なき損害をかけて恥じない一部の読書家を反省せしむべく、読書家道徳を確立するために力をつくすであろう。」
この時代がかった大仰さとズレが、何とも興味深い。発行所である古典社の渡辺太郎という人は一体どういう人なのだろう? また、この古典社はこの後どうなったのだろう?