悪いことは続くもの

selavy2008-05-20

5月18日(日)、親戚に慶事があるからと上京してきた、愛媛県宇和島の旧友と、横浜で会った。初めて出逢ったのは今から20年以上前、瀧口修造に関係したある会合の席だった。すぐに意気投合し、上京の際には必ず会うようになった。こちらが宇和島に訪ねたことも2回ある。
午後2時に横浜の「そごう美術館」入り口で待ち合わせ、一緒に「佐伯祐三展 鮮烈なる生涯」を観る(上図)。事前に電話でこの展覧会を提案したら、彼は即座に「佐伯祐三の展覧会なら、山本發次郎さんのコレクションかなあ」と言う。こちらは詳細を把握していなかったが、訪れて見るとまさにその「山本發次郎コレクション」が展示の中心となっていた(現在は大阪市に寄贈され、同市立近代美術館開設準備室蔵)。といっても、それ以外の主な作品も集められており、初期の自画像から、最晩年の「郵便配達夫」あたりまで、およそ100点。没後80年を記念する回顧展に相応しいといえるだろう。やはり佐伯祐三は日本の近代美術のなかで落せない画家だし、観ておいてよかったと思う。カタログには書簡なども収められ、資料として好便だ。
「ロシアから来た少女」にまつわるエピソードが興味深かった。当時の佐伯は、冬の冷たい雨の中で無理な制作を重ねたため著しく体調を損ね、寝込みがちになっていたが、制作だけは室内でも継続しようと、知り合いの郵便配達夫にモデルになってもらった。こうして描かれた作品が、有名な「郵便配達夫」だが、完成直後、佐伯のもとを訪ねてきた見知らぬロシアの少女(亡命貴族の娘だという)を描いたのが、その「ロシアから来た少女」という油彩だ(少女はモデルをして生計を立てていたらしく、他の画家が描いた作品も残っているらしい)。
辛うじて仕上げられた自分の姿を見て、少女はその粗々しさに驚き、「悪いときには悪いことが続くものだ」という言葉を残して去っていったそうだ。この言葉は少女自身の身の上について述べられたものだったらしいが、佐伯の方もその直後から、病状が悪化の一途をたどり、自殺まで図って重態に陥った末、亡くなることとなった。
佐伯がパリに滞在していた時期は、1924年から25年と(26年の一時帰国を挟んだ後の)27年8月から28年8月までだが、この時期はちょうどシュルレアリスム運動の勃興期と重なっており、ついこの運動との関わりを考えてしまう。
例えば2度目のパリ滞在の際、佐伯が最初に(8月21日から24日まで)投宿した「オテル・デ・グランゾム」(偉人ホテル)は、もしこれがパンテオン広場に面した「オテル・デ・グランゾム」だとすれば、ここにはブルトンが1918年〜20年頃に住んでいたことがあるのだ。ちょうど佐伯がこのホテルに滞在していたのとまさに同じ頃に、ブルトンの方はノルマンディーの「アンゴの館」にこもって『ナジャ』を執筆していた訳だが、その冒頭近くの部分で、その後に続くいくつかのエピソードの「出発点」としてこのホテルを位置づけていたことになる。
また、27年の油彩「オプセルヴァトワール附近」で描かれているのは、マン・レイの有名な「天文台の時刻に―恋人たち」と同じ、モンパルナス通り近くにある「パリ天文台」らしい。佐伯の画面を見ていると、佐伯の方が一世代前の時代のように思えるが、改めて年代を確認してみると、同時代だ(マン・レイの方は、リー・ミラーと別れた後の32年頃の作とされ、少し後ではあるが)。パリの街角をめぐって、佐伯とシュルレアリストたちとの意外な関係が、まだまだ他にあるかもしれない。

地下鉄で元町・中華街に行き、神奈川県立近代文学館の「澁澤龍彦回顧展 ここちよいサロン」を見る。「ここちよいサロン」か・・・ 70年代にはもっと毒があったような気もするが、時代の方がようやく澁澤に追いついてきたということなのかもしれない(瀧口修造にはまだまだ追いついていないようだが)。来館者にも若い女性が目立ったようだ。
書籍、原稿、書簡など、いろいろ資料が展示されており(澁澤旧蔵のサド侯爵の肉筆も展示されていた)、つい立ち止まって内容を読んでしまうが、友人は「だいたいどこかで見たことがある」と、かなり早いペースで見ていく。あまりお待たせするのも申し訳ないので、後半は流してしまった。幸い近くに住んでいるので、もう一度見直すことにしよう。
地下鉄で馬車道に戻り、伊勢佐木町商店街まで、古本屋さんめぐりをする。最初に訪れたのは金曜日にも寄ったS堂。また2冊購入。ブック○○にも寄る。美術書の棚は金曜とかなり中身が異なっており、回転が速いようだ。ひそかに目をつていた歌麿のカタログも、すでになくなっていた。あの硬い研究書が売れるとは! これは今後しばしば訪れてチェックしなくてはなるまい。
友人がアイドル写真集の棚を見ているので、一瞬、眼を疑ったが、「四国のブック○○の棚で、森山大道の写真集などを見つけたことがある」とのこと。納得した。この後さらに、近くの古本屋を2軒ほど覗く。村野四郎『体操詩集』の復刻を見つけて、友人が喜んでいた。
9時過ぎまで伊勢佐木町の焼き鳥屋で飲み、その後コーヒーを一杯飲む。関内駅で友人と別れ、11時頃帰宅。パソコンを起動すると、少し前に知り合いに照会したやや面倒なメッセージへの返信が届いていた。あわててお礼の返信を入れる。後から読み返したら、知り合いからの返信は「おこんばんは」という幇間を思わせる書き出しになっているのに気がついた。クスリと笑ってしまった。読んですぐに気がついていれば、こちらも反応したのに、後の祭りだ。