申し込みはしたものの・・・

5月19日(月)。朝、旧知の画商Mさんから電話があり、「久しぶりに飲みませんか?」とのお誘い。2月に会って以来だ。夕方、京橋近くの喫茶店で落ち合う。ある調べ物の依頼だった。持ち帰って家で調べることにする。
その後、銀座に回り、ビールで喉を潤す。前の日に見た佐伯祐三展のことなどを話す。贋作事件について教えてもらおうと、話を向けてみると、「あの贋作、ある筋からうちに持ち込まれたこともあったのですよ」という。
「ええっ?そうだったのですか。確か元のパトロンのところにあった作品とかいう話でしたよね」「いや、そういう話にして、資料まで作り上げたのですよ。手が込んでいましたね。でも、肝心の作品がまったくダメでしたからねえ・・・。」「それで、これまで真作とされてきた作品には奥さんの手が入っているとかいう話にしたのですね?」
「そうです。そんなことあるわけがない! ところが、高名な美術評論家K先生がまんまと騙されて、お墨付きを出してしまったので、話がややこしくなって・・・。まさに晩節を汚した形になりましたね。あの一件をずいぶん悔やまれて、死期を早めることになってしまったようです。ある美術館の館長Tさんなども、<普段着の佐伯が居る>などと持ち上げておられましたね。この世界はそんな話ばかりですから、自然と疑り深くなってしまいます。不幸なことですけどね」長く業界に居る人だけに、実感がこもっていた。
帰り道に丸の内のパン屋Vに寄ろうと思っていたが、遠回りになるので、プランタンの地下の店Bにする。


5月21日(水)。夕方から神保町に出る。まずG堂に寄り、1冊購入。レジに居たSさんと大阪の古書店のことなどを話す。その後、某T書店に回り、ある抽籤にエントリーする。今回は狙いを1点だけに絞り、メモを差し出すと、見るなり店主が「あっ、これはもう6人もいるよ!」という。「でも、これ1点だけという人は居ないでしょう?」「まあ、みんな何点かリストアップしてきたけどね」
「どうしてみんなそんなに申し込めるんだろう? ○○君なんかサラリーマンで所帯も持っているんだから、そんな無尽蔵に予算があるわけでもないはずなんだけど・・・。病気だとかいう親御さんでも亡くなって、遺産が転がり込んだのだろうか?」「そんな勝手に人を殺すなよ。みんな苦労しながら集めてるんだから。自分のできることをやる、それでいいじゃないか」と言われてしまった。分が悪いので、早々に退散。
○○ブックセンターで最近の雑誌や書籍をチェック。仕事帰りの知り合い(この街の住民)と棚越しに目があってしまった。「晩ご飯でもいかが?」とお誘いすると、「ではGにでも」というので、さくら通りの洋食屋Gに向かう。
いつもは1階の席だが、今日は二人なので、2階に上がる。「おすすめ定食」(鮭のカマ焼&海老フライ)を選ぶ。味噌汁の美味さに感心しながら(何でダシを取っているのだろう?今度訊いてみよう)、業界のこと、ブック○○のこと、最近見た展覧会のことのことなどを話す。相手には関係のない身の上話めいたことまでお話ししてしまったので、少しびっくりされたようだ。(申し訳ないことをしてしまった。)お侘びに、すずらん通りの紅茶専門店Tで、紅茶とシフォンケーキをご馳走し、地下鉄で帰る。


5月22日(木)。最悪の体調だったが、画商Mさんなどとの約束があったので、昼前に出かける。京橋の喫茶店で落ち合い、先日頼まれた調べ物の結果を説明。この後、ブリヂストン美術館岡鹿之助展に行くつもりだというと、「若い頃、あるコレクターから、岡先生の作品の売却を頼まれたことがありましてね」との話。
「油彩の大作が7点。これをどこかの美術館に納めてほしいというのですよ。実業家の方で、高齢になり後継者もいないので、後々、散逸しないようにと考えられたのでしょう。見てびっくり、代表作ばかりでした。それをまだ駆け出しの私に、まとめて預けてくださったんです。早速、高名な美術評論家K先生にご相談すると、<これは国立のしかるべき美術館に一括で購入してもらおう。億円単位の話だから、すぐというわけに行かないけれど、予算を取るよう、早速話してみる>と仰って、熱心に動いてくださいました」
「じゃあ、どこかにまとまって収まったのですか?」「それがねえ、話が本決まりになる前に、そのコレクターが亡くなられて、甥の方が入ってこられましてね、作品を引き上げられてしまったのです。K先生や美術館に事情をご説明して、平謝りに謝りましたけど・・・。こういう商売は人と人との繋がりと信頼関係がすべてですからね。後々まで大変でしたよ。」
「で、作品の方はどうなったのですか?」「バラバラにされてしまいましたよ。中には美術館に入った作品もあったようですけどね。他のいろいろな作品や骨董なども、すべて処分してしまわれました。甥御さんは、あまりこの世界に縁のない方で、たぶん喰い物にされてしまったのではないでしょうか」「それは残念な話ですね。」「コレクションの行く末は、大問題ですね。後継者も含めてね」「そうですねえ・・・」と、我が身を振り返り、ため息をつく。
話題を換えようと、「岡さんにも贋作があったみたいですね」と訊いてみると、「そうかもしれません。比較的特徴がはっきりしていますから」「岡さんと例の画商Jさんは、ずいぶん親しくて、作品もかなり扱われていたようですね。」「ああ、そうでしたか。田園調布と自由が丘でしたからね」「Jさんのところに<買い取ってくれ>と持ち込まれた作品が、どうも怪しいので、岡さんに見てもらったところ、案の定、<これは別の岡さんでしょう>という返事だったとか」「それは面白いですねえ。いかにも岡先生が言いそうな台詞だ」
その足でブリヂストン美術館に向かい、「岡鹿之助展」を観る。(続く)