横浜・松濤・神保町

selavy2008-06-08

6月7日(土)。午前中から外出。横浜美術館の「木下孝則展 昭和の気品、横浜の洋画家」を観る。両対戦間の前衛的な傾向とは一線を画した、写実的な作風のようなので、後回しにしてきたが、肖像画、裸婦、静物画や、日課のように描いていたという花の絵など、なかなか見応えがあった。図録もすでに売り切れとなっていた。驚くにはあたらないのかもしれない。
この画家が中心的な役割を果たしていた1930年協会や一水会などの画家の絵を展示したコーナーが、それぞれ展示の順路の途中に設けられていたが、同じグループの中でも画家相互に画風の違いがあることが、明瞭に見て取れて面白かった。花の絵といえば、幼い頃、実家に飾られていた小さな花の絵(額装されていた)は、ひょっとすると木下孝則の絵だったかもしれない。その後、何度か引越したが、どこかにしまってあるだろう。

ハンバーガーで軽めの昼食にした後(ビルの表に並べられたベンチのかなり奥まで鳩が歩いて入ってくるのには驚いた)、みなとみらい駅から渋谷に出て、松濤美術館に行く。今週から展示が始まった河野通勢展で、学芸員Sさんのギャラリートークがあるのだ。
この10年間ほど、武蔵小金井のアトリエに通うなど、新資料の発掘に大きな役割を果たしてこられた方だけあって、その解説は詳細かつ具体的で、初期の風景画から、自画像、宗教画、銅版画、風俗画などについてはもちろん、他の画家や家族などとの人間関係にまでわたるものだった。
女性の肖像を描いた油彩は義理の妹である「好子像」の一点だけらしいが(図像上掲。「モナリザ」を下敷きにしていることがわざわざ明らさまにされている)、この作品が描かれた理由もなかなか興味深かった。初期の風景画について、「信州がエデンの園に見立てられており、一種の理想郷として描かれている」と見ておられたが、この見方は卓抜だと思う。
前に平塚市美術館で見たときには、確か左右を反転させた自画像があったように記憶していたのだが、その点をSさんに質問するととても驚かれ、「そういう自画像はないはずだ」とおっしゃる。解説の後で会場に戻り、自画像をもう一度見てみたが、確かに左右を反転させた自画像は見当たらなかった。平塚ではどうしてそのように見えたのだろうか・・・。
ちょうど会場に来ていた知り合いが「この後、三鷹の幕末浮世絵展を見に行く」というので、一瞬、もう一度見ようか迷ったが、私は止めることにし、地下鉄で神保町に出る。すでに6時近くになっていたため、古書会館の古書展は断念。直接、某T書店に行くと、店主が先客と話し込んでいるところだった。
店内を巡ってひととおり棚を見渡すと、美術関係の棚に竹久夢二の本がずいぶん増えていた。その中に一冊、武井武雄の刊本『のえる之書』があった。キリスト生誕の物語を描いたクリスマス用の絵本のようだった。和紙に紺色の刷りが美しく、162部(?)の限定・署名入りだったが、値段もなかなかよかった。といっても、豆本の専門店よりは安いかもしれないが。
やがて先客が帰っていったので、入れ替わりに店主と話す。話題は七夕の大市のことや、目下募集中のアルバイト求人のこと、信州旅行のこと、各地で見かけた中国人旅行者のこと、四川大地震への外国企業の義捐金に対する中国人の反応、などなど。銀座あたりも今はヨーロッパ人と中国人の旅行者でいっぱいだそうだ。「昔の日本人の海外ツアーも、現地の人からは同じように見られていたのかもしれないね」と、話に落ちがついたところで、店を後にする。
N書店に寄って知り合いに挨拶した後、久しぶりにスマトラカレーのK堂に寄ってみた。前に訪れたときほど混んでおらず、相席にされなかったのはよかったが、ウェイターとウェイトレスがアジア系外国人になっているのには驚いた。老店主自ら微笑みながら注文を捌いていた、昔の腰の低い応対がなつかしい。だが何はともあれ、カレーと小サラダの味が変わっていなかったのは幸いだ。