白い夜

6月10日(火)。資料作りの合間を縫って、近所のスーパーに買出しに行く。あれも値上げこれも値上げ。たまったものではない。為替レートは一時の1ドル125円から105円と、2割近く円高になっているのだから、輸入品など値下げしてもよさそうなものだが・・・。
晩のオカズに宮城産の蒸し牡蠣のパック入りと、生野菜(これもパック入り)を買う。某ビールメーカーから黒ビールのプレミアムが発売されていたので、ついついこれも買ってしまう。(新発売ではなく再発売だろう。数年前にも飲んだことがあり、大変美味かった記憶がある。)
すぐに飲みたいのを我慢し、一風呂浴びてから缶を開ける。ビールも酒肴も美味く、つい2本目に手が伸びてしまう(この黒ビール、味が濃厚で甘いので、ビールが苦手な人でも飲めるかも・・・)。このメーカーの昔のCMで、和久井映見が「うまいんだな、これが」と微笑むシーンがあったっけ、などと思い出しているうちに、眠くなってしまった。久しぶりに2本も飲んだ効果テキメンだ。見ていたテレビ番組「開運 何でも鑑定団」の、「マグマ大使の特撮が、どうしたこうした」という箇所まで覚えているが、その後の記憶がない。梶井基次郎の手紙が出るというのでチャンネルを合わせたのだが、その場面になる前に眠り込んでしまったようだ。やれやれ。
再び目が覚めたのは、深夜の0時過ぎ。当然、テレビのスイッチを入れっぱなしにしており、見たこともない深夜番組のやかましい映像と音が、部屋の空間に向かって流れ続けている状態だった。空しくなってしまった。ふと、老人の孤独死の場合も、看取ったのはテレビだけだったというケースがあるだろうし、いずれは自分も・・・などと、変なことを考えてしまった。
そういえば以前、山下洋輔のエッセイで、ファンの一人が自殺してしまったが、発見されたとき、その傍らではレコード・プレーヤーがリピート・モードにされ、洋輔のLPが回り続けていたという話を、読んだ記憶がある。これではミュージシャンの側も複雑な(たぶん迷惑な)気持ちだろう。でも、あの頃は自殺するにしても、他人を巻き添えにすることはなかったし、まして、自暴自棄になって(死刑を望んで)無差別に人を殺すようなことはなかったように思う。
コーヒーを淹れて、資料作りを再開したが、どうも集中できない。知人・他人のブログなどもチョコチョコ覗いているうちに、東の空が白々としてきて、夜が明けてしまった。久しぶりに徹夜したことになる。
徹夜のことを確かフランス語ではnuit blanche(白い夜)と言ったと思う。三島由紀夫の「純白の夜」も、このフランス語から題名を採っていると解説に書いてあったはずだ。何でそういう言い方をするのかは知らない。睡眠という行為がないという意味で「空虚な夜」というのか、あるいは明け方の光が白々としているからだろうか。