浜松町・茅場町・神保町

selavy2008-06-28

6月27日(金)。雨も上がったので、午後から外出。浜松町の横田茂ギャラリーで「河口龍夫 sewe saw seen 1973」を観る。ここで河口展が開催されるのは、久しぶりだ。展示は9点の写真と、プロジェクターで壁面に投影されるスライド写真から構成されていた。
70年開催の有名な「人間と物質」展に出品された作品も、確か海辺(水平線)の光景の写真だったと思うが、今回展示されているのも海辺の光景か、または海岸の石や植物の写真だ。被写体の物質感と写真の物質感とが微妙に重なり合っており、その間ないし関係が追求されているように思われた。植物の写真は、後の「種子」のシリーズへと展開されていくテーマでもある。なかなか興味深く拝見した。
7月13日まで宇都宮美術館では「無限への立ち位置―河口龍夫の1970年代」展が開催されているらしいので、ご自慢のマグリット「大家族」と併せて、見に行かなくては。(栃木県立美術館にも寄ることにしよう)
ちょうどその宇都宮から戻ってきたところだという横田さんと、最近の展覧会や実験工房のこと、北代省三のこと、瀧口修造のことなどをしばらく話す。北代省三とグラフィック集団が制作した小写真集や、J.コーネルがデザインし刊行した小出版物”Maria”などを出して、見せてくださった。

地下鉄で日本橋に出て茅場町まで歩き、森岡書店で細江英公「ミス・ペテン」展を見る(写真)。森岡さんは外出中だったが、展示を企画したIさんが留守番をされていた。シリーズのオリジナル・プリントの何点かは売約済みの印が付されており、また近代ナリコさん編集の「型録 ミス・ペテン―鴨居羊子の世界―」も残り2部となっていた。なかなか好評だったようだ。この展示をご紹介した人も何人か来てくれていた。
Iさんと今回の展示の反響や写真集の価格のことなどについて話す。神保町で今日開催されている市の話になりかけたところに、ちょうど森岡さんが戻ってこられ、「今日の市に例の詩画集が出ていましたよ。状態が真っさらなので、触るのも憚られました」とのこと。Iさんと顔を見合わせ、「今まさにその話をしていたところ」と異口同音に言う。「で、結果はどうでした?」と訊くと、「いや、最後まで居なかったのでわかりません」とのこと。気になるので失礼することにし、地下鉄で神保町に向かう。

某T書店に行くと、常連の近代詩関係のコレクターAさんが居て、顔を見るなり「さっきからお噂をしていたところです」と言う。「そうですか。道理でクシャミが出ると思った」と応じると、Aさんは微妙な表情を浮かべ、「まあ結果はご主人に聞いてください。じゃあ私はこれで失礼します」と言い残して、そそくさと店を出て行かれた。いやな予感がする。
ご店主の電話が終るのを待って「どうでした?」と訊くと、「ダメだった。いやぁ、驚いたよ。◎◎○円だって」という。「ええっ、◎◎○円ですか!!! で、どこが落札したのですか? Sさん?」 「いや、N書林さ。俺も○○○円までは入れたけどね。他にも◎○○円入れていたところがあったそうだから、どうしようもなかったね」 「でも、◎◎○円で落札してしまったら、売値は一体いくらになるのですか?」 「まあ最低でも◎◎◎円付けないと商売にはならないねえ」 「◎◎◎円!! そんな値段で売れるんだろうか・・・。で、どこから出たのかわかりますか?」 「K堂さ」 「ああ、それなら10年くらい前、七夕の大市で確か◎○○円で落としたことがあるから、それでしょう」 「うん、それだろうな」 「うーむ、◎◎◎円ですか・・・。たぶんもう一生持てないですね」 「まあ、チャンスはまたあるさ。気長に待つことだね」 「そうですねえ・・・」といいながら、肩を落とし溜め息をつきながら店を出る。

誰かと話してショックを和らげようと、N書店の知り合いを訪ねてみたが、ちょうど別のスタッフと打ち合わせ中だった。挨拶することもできず、ここでも寂しく店を後にする。何かを食べる気にもならず、夢遊病者のようにふらふら御茶ノ水駅まで戻り、そのままJRに乗って帰宅。さっそく京都の知り合いに電話して状況を話し、慰めてもらった。長電話をして申し訳ないことをした。