詩人の航海日誌

selavy2008-07-03

そのまま通りを長谷方面に歩き、10分ほどで文学館前の交差点に到着。右に曲がって鎌倉文学館に向かう。何の変哲もない住宅街を歩いていくと、やがて木々が欝蒼と茂った丘の麓に達する。正門の脇の小屋で入館手続きをし、緑陰の涼しさを実感しながら木立の間の坂を上がる(たぶん下界の住宅街より気温が2〜3度は低いだろう)。行く手に短いトンネルが現れ(左側に実朝の歌碑がある)、そのトンネルを抜けると空間が開けて、左手に絵に描いたような洋館が建っている(写真)。
元は前田侯爵の別邸として1930年代に建設され、その後、何度か持ち主が変わったそうだが、近年、鎌倉市に寄贈され、今は文学館として活用されているのだ。三島由紀夫の『春の雪』に、ここをモデルにした別荘が登場することでも有名だ。靴を脱いで上がり、左手の常設展示室に入る。以前は食堂として使われていた部屋だそうで、南側に開かれた窓からは、きれいに刈り込まれた庭の芝生や木立越しに、由比ヶ浜の海が見える。何とも贅沢な空間だ。
常設展示を一周して、1階・地階の特別展「田村隆一 詩人の航海日誌」を見る。1階はデザイナー後藤繁雄氏による会場構成で、展示全体のインデックスでもあり、また田村隆一の詩のアンソロジーともなっている。パネルの展示がシックで美しい。またケースの中の原稿も実に洒落た展示になっており、ウイスキーの小瓶、銀製の酒器と杯、ペン、眼鏡などの遺品がペーパー・ウェイトとして用いられている。酒を愛し人生を享受したこの詩人に相応しい。
地階の展示室に入ると、右手に展示されたポスターの中で、ドレスシャツを着て穏やかな表情を浮かべているダンディな姿が眼に入る(某シャツ製造会社の宣伝用ポスター)。展示ケースの中には堀田善衛宛の書簡をはじめ、肉筆原稿、初版本などがほぼ年代順に並べられ、文学上の航海の軌跡が辿れるようになっている。
もう少しゆっくり拝見したかったが、1時間足らずで閉館時間の5時になった。後藤繁雄氏によるインデックスを縮刷したポスター(?)と瀟洒な小カタログとのセットを買って館を出る。正門はすでに4時半に閉じられたそうで、芝生の庭の中の小径を通り、バラ園を抜けて、正門脇の副門から出る。10分ほどで江ノ電由比ヶ浜駅に到る。

かれこれ5時間近くも歩き通し立ち通しだったので、さすがに疲れた。いかにもローカル線らしい小さなホームのベンチに腰を下ろす。やがて電車がやってきたが、平日の昼間で座れるだろうと思っていたのが大間違い。かなりの混雑ぶりだ。今日は海開きだったのだ。途中の稲村ケ崎から鎌倉高校前あたりでは、窓から海が見えた。海開きだからといって、のどかな光景に変化があるわけではない。
10分ほどで江ノ島駅に着く。かなりの乗客が降り、やっと座ることができた。ホームの壁に、近くの龍口寺の看板が掲示されているのが眼に入り、「瀧口さんの菩提寺と同じリュウコウジだなあ」と気がついた(菩提寺の方は龍江寺というが、草書体では「江」と「口」の字も似ている)。瀧口修造のことをあれこれ考えているうち、藤沢駅に到着した。
駅前の光景には驚いた。南口にこんなにビルが建ち並んでいるとは・・・。陸橋を渡ってJRの改札口の前を素通りし、そのまま北口に出て、大通りを2本越える。ここで陸橋を降り、遊行寺への参道である脇の小道に入って、古書S文庫を訪ねる。1年振りくらいか。店主が居たので挨拶する。「ああ、お久しぶりです。ちょうど瀧口修造が執筆している画廊のカタログがありますよ」といって、奥の倉庫に入って行かれた。
「いや不思議ですねえ。先週譲っていただいたばかりです」と言いながら出して来られたのは、南画廊のヴォルス、シュヴィッタースジャスパー・ジョーンズ展と、南天子画廊のベルメール展のカタログ4冊だった。ヴォルスとシュヴィッタースはすでに持っているが、ジャスパーとベルメールは初めて見るものだ。早速頂くことにし、値段をつけて貰う。瀧口修造の命日に相応しい買い物だ。
「ある出版社の編集者だった方が鵠沼に住んでいて、譲っていただいたのです。よく画廊巡りもされていたそうです。こういうカタログとかポスターがまだまだあるようですよ」とのこと。それは楽しみだ。
先週の神田の市や今週の大市のこと、近年の写真集の価格高騰のこと、京都のH画伯やマン・レイ・イスト氏のこと、見てきたばかりの田村隆一展のことなどを話しながら、その合間に店内をひと巡りふた巡り。さらに文庫本3冊と雑誌「面白半分」1979年12月臨時増刊号「さて、田村隆一。」を頂く。
ちょうど7時に店を出て、JRで帰宅。予想外に買い込んでしまったので、晩御飯は倹約し、駅の売店の缶ビールと立ち食い蕎麦にしておいた。