コレクターは二度死ぬ

selavy2008-07-08

7月7日(月)。七夕の日は朝から雨模様となった。先週の大市の結果はすでに出ていて、いまさらどうしようもないのだが、気になって仕方がない。テンションが上がる一方だ(おそらく血圧も)。
こういうときには、心を落ち着けようと、静かな音楽を聴いてもまったく無駄だ。逆に気持ちが昂揚する音楽のほうがいい(パチンコ屋の軍艦マーチだってそうだろう)。というわけで、レッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」などを大音量で聴きながら、雨の上がるのを待つ。
昼には何とか雨も落ち着いたようだ。待ちかねて、神保町まで出かける。某T書店を訪れると、店主がちょうど食事から戻ったところだった。早速、結果を聞く。狙っていた一点は親引けで(出品業者自らが落札すること)、あえなく討ち死にとなった。
親引けの場合には、現物は当面、出品業者の手元に留まっているのだから、チャレンジの機会も残っているわけだ。ということは、今回は「討ち死に」まで行かず、首の皮一枚残った形かもしれない。ただ、狙った一点には、少なくとも私より高い価格での応札があったそうだ。これは心して準備しないと、返り討ちということになりかねない。「コレクターは二度死ぬ」か。リタイアしたコレクターのつもりでいたのに、我ながら執着はしぶといものだ。
親引けの場合でも、当然、落札業者(=出品業者)は古書市の主催者(この場合は明治古典会)に手数料(落札価格の5.25%)を払わないといけないので、素人考えでは、その分、損するだけのような気がする。なぜそんな手数料を払ってまで出品したものを自ら落札するのだろう? その意味を店主に訊いてみると、あれこれいろいろと解説してくれた。プロのやることは何事も奥が深いものだ。
他の主な出品物の落札状況も教えてもらった。今年はちょうど資源(原油)価格急騰と株価の12日続落など、経済情勢が最悪だったこともあって、全体に低調だったようだ。早く景気が回復してほしいものだ。
ただ、「景気回復のため」と称する無駄な財政出動だけは御免蒙りたい。道路にしろハコモノにしろ、結局は政治屋の利権と役人の天下り先の確保のためだ。特別会計と称するこうした無駄遣いの仕組みは温存したままで、消費税率をアップしようなど、とんでもないことだ。
某T書店をあとにして、美術・写真関係が専門のGZ堂、GK堂などを回り、早めに帰宅。風呂を沸かしていると、フランスの知人から電話が入る。この夏の来日予定などの連絡だった。その後、京都の知人に電話を掛け、大市の結果を話す。お互いに最後は「先立つものがあれば・・・」の一言に落ち着く。「同病相哀れむ」の図か。