暑気払いと土用

selavy2008-07-24

7月23日(水)。午後から外出。有楽町の出光美術館で「没後50年 ルオー大回顧展」を観る。今回の展示は初期から晩年まで網羅されていたが、どちらかといえば「受難」(右図)、「ミゼーレ」の両シリーズが中心で、あの鉱物のように輝くマチエールの(中期の)点数はあまり多くはなかった。
実はどうしてこの美術館にルオーが所蔵されているのか、前から疑問に思っていたのだが、今回やっとその理由がわかった。ある(日本の)画商が連作「受難」を日本に持ち込み、1976年に展覧会が開催された。その際、このルオー後期の代表作をそのまま日本に残そうという気運が盛り上がり、かなり大物の文化人・財界人などが動いたようだ。岩波書店から豪華本も出版されており、当時のこの熱狂振りは今から考えると若干不思議にも思える。だが運動の熱心さに反して、受け入れ先の方はなかなか決まらなかったようだ。最後に晩年の佐三翁のところに持ち込まれ、ようやく日本に残ることとなったのだそうだ。
その後、美術館ではこの「受難」以外にも充実を図り、今では400点を数える世界最大の規模になっているそうだ。所蔵する必然性は、仙崖をはじめとする日本美術の方が高いとは思うが、大変立派なコレクションであることは言うまでもない。印象派やエコール・ド・パリなどに広げず、ルオーに絞ったところは、素晴らしいの一言だ。(サム・フランシスのコレクションもあるが、こちらにもまた別の動機・事情があるのだろう)
夕方から銀座の某ビアホールで知り合いの画商Mさんと暑気払い。観てきたばかりのルオー展のこと、昔池袋にあった美術館のこと、瀧口修造のことなど、なかなか楽しいひとときだった。気持ちよく飲み、気持ちよく酔う。家に着くなり、シャワーを浴びて、そのまま早めに寝る。
夜中、変な揺れを感じ、寝ぼけ眼で起き上がると、地震だった。岩手には知人も暮らしているのだが、大丈夫だろうか。テレビを点け、しばらくニュースを見る。

7月24日(木)。飲みすぎて、逆によく眠れなかったようだ。夜中、何度か眠っては眼が覚めてしまった。起きたのはいつもより遅めの7時過ぎだが、二日酔いで気分が優れない。朝から水を大量に飲む。昼ごろにようやく気分も快復する。
土用丑の日なので、夕食に鰻を食べることにして、バスで海岸近くの街まで出かける。このあたりは横浜市の最南端で、その昔は鎌倉幕府の港もあった要衝だ。明治の頃には風光明媚な別荘地として賑わい、元勲たちが明治憲法の草案を練った料亭などもあったはずだ。この比較的小さな街に鰻屋が3軒もある。その中の一番バス停に近い1軒に入る。
店の前にお土産用の蒲焼の臨時売り場がしつらえてある。周囲に打ち水がしてあるのが涼しい。ちょうど夕食時の客が来る前の時間帯を狙って行ったので、すぐに座れ、お茶を持ってくるのと同時にサービスの骨せんべいが出てくる。となると、やはりアルコールを飲まないわけにはいかない。明治の文豪と同じ名前の地ビール醸造所が「鰻には黒ビール」と売り込んでいるらしいので、それを選ぶ。
ちょうどビールを飲みきった頃に鰻重が運ばれてきた。鰻自体は贔屓にしていた千歳烏山の店の方がふっくらしていると思うが、こちらも身がしっかりしていて、悪くは無い。ご飯はつややか。きも吸、漬物もしっかりしている。値段もそこそこリーズナブルだ。満足、満足。