町田から神保町へ

selavy2008-07-31

7月30日(水)、昨晩の雨で気温が少しだけ低く感じられ、これ幸いと、朝から出掛ける。
まず会期が今週限りとなった町田市立国際版画美術館「中国の山水と花鳥 ― 明清絵画の優品」展へ。中国の絵画といえば、東博の東洋館の特集展示とか、仏画展、水墨画展などで断片的に見る程度で、まとまって見る機会は少ないが、今回は一挙に70点以上も展示しているそうで、これは見逃せない。
明から清への山水画の流れがたどることができ、花鳥画、人物画などもヴァラエティに富んでいる。日本の水墨画文人画などの源流は、やはりここにあると再認識させられた。若冲蕭白などの原型とも見ることができそうな作品もあり、彼らも日本美術の中では「奇想」かもしれないが、中国絵画から見るとむしろオーソドックスなのではないかと思えてくる。
孫億「花鳥図」(上図)は胡粉が盛り上がったような感じの梅の花弁と、生き生きとした鶯のポーズとの対比が見事な小品。方薫「胡蝶図巻」は、一見して金比羅宮の若冲の蝶図の襖絵を想起させるが、顔料の粉の感触が鱗粉を想わせ、まるで蝶の翅をコラージュしてあるかのように見える。迫真性ではこちらの方が上かもしれない。商喜「猛虎図」なども、先日東博で見たばかりの応挙や芦雪の虎を想い出した。
その隣に並べてある郎世寧「獅子図」のライオン親子たちの姿は、まるで写真のようなリアルさなので驚いてしまったが、展示解説を読んで、二度ビックリ! 作者は本名ジュゼッペ・カスティリオーネ(まるでマカロニ・ウエスタンから抜け出してきたような名前だ)というミラノ出身の画家で、イエズス会士として布教のため北京を訪れ、そのまま清朝の宮廷画家となったのだという。中国の画材を用い西洋画の技法を駆使して描かれた作品は、明暗・陰影の付け方などはまさに西洋画風だ。その画面の奇妙さと画家自身の数奇な境涯とが重なって見えてくる、不思議な絵だった。
これらがすべて一人の個人コレクターの所蔵品から選ばれた作品とは、凄いことだ。改めてコレクションという行為の無償の意義に、頭が下がる思いのする展示だった。図録には「作者略伝」まで付され、便覧としても使えそうだ。小冊ながら行き届いている。
併催されている「瑛九とその周辺」展も、瑛九だけでなくデモクラート美術協会の作家たちの作品も展示されており、なかなか見ごたえがあった。磯辺行久の1950年代の作品などは、去年の木場の展覧会でも見ることができなかったと思う。


町田駅ビルの天ぷら屋で昼食にした後、小田急線・地下鉄千代田線を乗り継いで大手町に出、三の丸尚蔵館帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」展へ。この年のパリ万博のついては、ジャポニスムとの関連などでしばしば言及されるが、展示作品をまとめて見る機会はなかったのではなかろうか。当時の会場写真なども展示されており、ありがたい企画だった。お目当ての並河靖之「四季花鳥図花瓶」と濤川惣助「墨画月夜深林図帳」は第二期に展示されるそうなので、また来ることにしよう。
皇居の中を平川門へと抜ける。立派な石垣を見ると思わず「こうして焼けずに残ったのも篤姫和宮のお蔭だ」と大河ドラマを連想してしまう。テレビの力は凄いものだ。


神保町まで歩き、某T書店へ。ちょうど初老のご婦人が買取を持ち込んだところだった。「○千円です」と査定が出る。初めて遺産の蔵書などを処分する場合など、慣れていないお客だと怒る場合もあるが、「電車代が出てよかったわ」と喜んでいるようだ。「まだまだいっぱいあるから、また来ますね」という。店主は相手がご婦人のためか、厭な顔もせず「重いでしょうし、宅急便をご利用になったらいかがですか? 代金着払いで結構ですから」と丁寧な応対。
このお客さんが店を出るのを見計らって、先週ご馳走になったお礼を言う。「楽しかったですよ」というと「ほとんど寝てたじゃないか」と突っ込まれてしまった。話題は当然、買い損ねた本のこと。さすがに気遣ってくれ、「まあ、また出てくるさ。50部も出ているのだから」と、慰めてくれる。
続いて話はA2君の籤運の強さに向かう。聞けば、翌朝(土曜日)に早速、代金を懐に来店したそうで、「おまけに泉鏡花まで一冊買っていったよ」とのこと。「おまけに」どころか車が買える値段だ。いったいどのくらいの資金が自由になるのだろう? 空恐ろしいほどだ。近代詩関係と鏡花とは、奇妙な取り合わせのように思えるが、きっとこちらの想像も及ばない、スケールの大きなコレクションなのだろう。
某T書店を後にし、N書店の知り合いに挨拶して、電車が座れるうちに帰宅。今日も4時間近く歩いたことになる。少し疲れた。