猛暑の日

selavy2008-08-08

8月8日(金)。朝から外出。上野の東京都美術館フェルメール展へ。今週始まったばかりなのだが、会場はかなり混んでいた。フェルメールを7点も見ることができるのだから、当然といえば当然だ。子供の姿が多いのが、いかにも夏休みの展覧会らしい。
展示はヤン・ファン・デル・ヘイデンのデルフトの教会と運河の風景画から始まり、ハウクへーストやファン・フリートの教会内部の絵、さらにはデ・ホーホの室内の女性の姿を描いた寓意画へと進む。カレル・ファブリティウスの「楽器商の居るデルフトの眺望」も展示されていた。ピンホール写真機のような器械で見ることを前提に描かれているらしく、会場にはその器具で見た視覚効果を再現するコーナーもあった。
二階の第三展示室には、フェルメールが3点(唯一の宗教画、同じく唯一の神話画、さらに2点の風景画の中の1点の、計3点)が展示されていた。宗教画「マルタとマリアの家のキリスト」と神話画「ディアーナとニンフ」は、どちらも初期の作品らしく、サイズもかなり大きい。光の描写や服の質感などもフェルメールらしくなく、そういわれなければ分からないだろう。(実際、前者は20世紀に入ってから、洗浄されて初めてサインが出現したのだが、しばらくは同姓の別の画家の作品だと思われていたらしい)
風景画「小路」は建物のレンガや漆喰の質感、小さな女性の姿、空と雲の描き方、木の葉やレンガに反射する光の表情など、フェルメールらしい絵だ。風景画はこれ以外には有名な「デルフトの眺望」だけで、合せて2点しかないとは、少し意外な感じがする。子供の姿が描かれている作品もこの1点だけらしい。
第四室にはまず「ワイングラスを持つ娘」が展示されている。この作品は保存状態が悪いためか、会場の光線のためか、全体に色彩がくすんでおり、カビでも生えているような感じ。特に娘の手をとって話しかけている男の髪の描き方や、背後の壁で「憂鬱」のポーズを取っている男のぼんやりした描き方など、とても完成した状態とは思えない。未完成というより、後世の手が入っているような感じがする。
次の「リュートを調律する娘」は、窓からの光といい、カーテンの影といい、壁の地図の陰影といい、服の生地の質感といい、いかにもフェルメールらしい作品。さらにその次の「手紙を書く婦人と召使」(上図)も同様。こちらは手紙の執筆に集中している婦人と、その後ろで白々しい表情を浮かべる召使の表情の対照が、さらにドラマティックだ。
最後の小品「ヴァージルの前に座る若い女」は、顔の色彩がやや不自然で、黄色い服の質感も今ひとつ。おそらくは未完成の作品かと思われる。
7点の中で印象的なのは「手紙を書く・・・」「小路」「リュートを・・・」の3点か。フェルメールの展示室はゆったり空間をとってあり、少し順番を待てば正面でみることができた。ついつい柵から身を乗り出してしまい、スタッフの方から注意されてしまった。
三階に上がると、フェルメールの全作品の原寸大の複製が、左から年代順に、三段重ねに展示してあった。これは情報量が多くていろいろ考えさせる、なかなか興味深い試みだった。その奥に、フェルメール以降のデルフトの絵画が7〜8点。全体で40点ほどと、展示点数は多くなかったが、やはりフェルメールをまとめて7点も見ることができ、きわめて充足感が高かった(入場料も1600円と高いが)。
予定ではこの後、西洋美術館でコロー展を見るつもりだったが、都美館だけで大満足。それどころか逆に、「ハシゴするなんてフェルメールとコローに失礼だ」というような気がしてきて、日を改めて出直すことにする。昼食にしようと、水道橋に出て某M翁に行くと、12時を過ぎたばかりなのに、すでに満員だった。そんなに時間はかからないだろうと思って待ったが、昼からビールを飲んでいるグループが3組も居て、順番が回ってくるまで10分ほどかかった。冷やしなめこ蕎麦にしようか、かなり迷ったが、結局、天ザルを注文する。
読みかけの本もあることだし、今日はアルコールを控えようと思っていたが、海老の頭を一口食べたとたん、我慢できなくなり、「十四代を一合」と頼んでしまった。大満足で店を出る。
そのまま歩いて某T書店に行くと、店主はちょうど市に行くところだったが、こちらの姿をみるなり「水でもかぶって来たのかい?」という。シャツを見ると、汗が滲み出していた。さすが猛暑日だ。