異質五人展

selavy2008-08-12

8月10日(日)。富山から上京してきた知り合いに誘われ、新宿の紀伊國屋画廊「異質五人展 1978年より2008年の軌跡」を見に行く。芥川麟太郎、恵藤求、加藤芳信、木下晋、藤山ハンの、5人の画家による30年振りのグループ展。
恵藤画伯は会場にいらっしゃらなかったが、他の四作家は運よく在廊中で、知人から紹介していただいた。特に木下画伯と藤山画伯は、晩年の瀧口修造と親しく交流していた作家なので、しばし思い出話の花が咲いた。心温まるひと時だった。(ちょうど某美術館の学芸員Mさんも来廊されたので、ご挨拶した。)

藤山画伯は瀧口から文章とデカルコマニー(黒い艶紙に白のグアッシュによる)を贈られているのだが、不幸なことに、その後火事に遭い、家や家財道具一式とともに、そのデカルコマニーも焼失してしまったそうだ。罹災後、何かに引き込まれるように焼け跡をつついていたら、堆積した灰の下から、何と焦げたデカルコマニーの一部とその裏面の署名の部分が出てきたという。そのデカルコマニーの焼け残った部分と署名の部分を広げて、炭と化した小さな木片などと共にコラージュした、大きなミクストメディアの作品が、会場正面の壁面に展示されていた。
(空襲でブルトンなどから贈られた書籍や手紙など一切を焼かれたという、瀧口修造自身のエピソードを何となく想い起こさせる。確か佐藤朔だったか誰かが心配して空襲後に訪ねたら、瀧口は焼け跡で茫然として灰をつついていたと、証言をしていたはずだ。)
この大きな作品によって、会場全体がまさに祭壇のような、ある種の祈りの空間と化しているように思えた。この作品は、いまだ制作中で未完成とのことだが、おそらく地上から一切の戦火(と兵器)が無くなるまでは、その犠牲を悼むために制作が続けられることになるのだろう。

木下画伯のハンセン病患者や瞽女をモデルにした鉛筆の大作は、見た瞬間、大きな写真作品かと思えるほど緻密かつリアルに描かれており、これを鉛筆で描くとなると、その労力は気が遠くなるようだ。作品としての質が高いのはもちろんだが、木下画伯の場合、そんなことより重要なのは、描くことの動機であるのかもしれない。
つまり制作過程は、モデルの人生の軌跡や心の世界を追体験する行為そのものであり、生まれてきた作品は、単にモデルに対する画伯の深い愛情と共感の賜物であるだけでなく、おそらくは彼らの存在の証となるべきものなのだろう。(上図)
異質五人展とはいうものの、五人の画伯(少なくとも藤山、木下の両画伯)はそれぞれ、個人的な体験が普遍的な祈りにまで昇華されている点で、きわめて近いところにいらっしゃるように見受けられた。
その後、木下画伯と富山の知人の三人で、地下の食堂に行き、遅めの昼食。晩年の瀧口修造の書斎の様子や、亡くなった後の周囲に居た人たちの動き方などを、いろいろ話してくださった。
富山の知人を東京駅まで送っていったら、3時近くになってしまった。埼玉県立近代美術館丸木スマ展に行こうと思っていたが、日を改めることにする。