おばあちゃん、はじける!

selavy2008-08-24

8月23日(土)。午前中に外出。まず溜池の泉屋博古館(分館)で「近代工芸の華 明治の七宝―世界を魅了した技と美―」を見る。素晴らしいの一言だった。並河靖之、涛川惣助の二人の作品はもちろんだが、特に尾張七宝の絶頂期、林喜兵衛、林谷五郎あたりが凄かった。大きな図柄なのに、細部まで緻密でまったく緩みがない。見た人は誰しも驚嘆するだろう。拡大鏡で細部まで確かめられるようにしてある作品が多いのも、行き届いた配慮と思った。
続いて近くの大倉集古館の「紙で語る―Paper Materials」を見る。特殊製紙(株)のコレクションにこの館の所蔵品を加えた企画展示。仏教の経典が主体で、大般若経奈良時代)、孔雀経音義(平安時代)、平家納経(大正期の模本)や、華厳五十要問答、大乗起信論疏(南宋時代の珍しい刊本)など。これに加えて、江戸時代の美しい大津絵、源氏物語かるた、浄瑠璃本なども展示されている。派手さはないが、なかなか面白く拝見できた。
地下鉄を乗り継いで神保町まで行き、某T書店へ。店頭均一で学術系文庫を5冊買う。約600冊も買い取ったそうで、まだまだ店頭に出てくるようだ。見てきたばかりの展覧会や作品の所蔵先などについて、店主としばらく話す。

白山通りを水道橋方面に歩き、初めて入る洋食屋Mで遅めの昼食にする。日替わりランチ650円。カウンターにオシボリなどがきちんと整えられ、おかみさんとシェフの二人が頑張りながら経営しているらしい様子は、なかなか好感が持てたが、出された料理は今二つくらいか。値段相応といえるかもしれないけれど、また入ることはたぶん無いだろう。

水道橋からJRで北浦和まで行き、埼玉県立近代美術館の「おばあちゃん、はじける! 丸木スマ 樹・花・生きものを謳う」展を見る。先日松濤美術館で見た大道アヤや丸木位里のお母さんにあたる画家だ。こちらも70歳を過ぎてから絵を描き始め、81歳で亡くなるまでに700点以上の作品を残したという。もちろん作品を見るのは初めてだが、たいへん充実した展覧会だった。(上図は1953年の「やさい」)
物の形態や大きさを正確に捉えるデッサン力を身に付けぬまま描き始め、それが亡くなるまで身に付かなかったことは明らかだが、逆にそれが幸いしたように思う。確かピカソだったかミロだったかが「子供が描くように描け」と言っていたはずだが、まさにそのとおり、原初的な生命力をそのまま体現し画面に定着しているように思われるのだ。この画家にかかると、動物でも植物でも人間でも風景でも、すべてが生々しく描かれ、まるで絵の中で蠢めいているかのような感覚に襲われる。
山下清と同時代のプリミティブな画家と位置づけられることもあるらしいが、素人画家という意味で「プリミティブ」という言葉が使われているとすると、違うような気がする。確かに、余白を残さず埋め尽くさずにいられないところなど、プリミティブな画家との共通する点もあるようだが、赤、緑、黄、白、紺、など多彩な色彩を用いて深い奥行きを与えているところや、クレヨンで描かれた下地に水彩を重ねて細かい水玉が散らばるようなテクスチャーを作り、画面に複雑な効果を与える技法を開発して用いているところなどは、技術的にもかなりの高みに達しているように思う。(たぶんピカソに匹敵する)天性の大画家というのが一番適当で、またそういうしかないだろう。
先日見た大道アヤさんの初期の絵は、明らかに丸木スマの絵から出発していることがわかった。安藤栄作、須田悦弘かわしまよう子という、スマさんに共鳴した若い作家3人の作品も、それぞれ心に残った。特に須田さんのドクダミは傑作と見る向きも多いようだが、同感(どうやって固定するのだろう?)。
公園の木々までザワザワと動いているように思える、不思議な生命力を感じながら駅まで戻り、帰途につく。「川口に住んでいる」と言っていた知人のことを想い出しながら、JRで荒川を渡った。夏の終わりにふさわしい一日だった。