所沢から所沢へ

selavy2008-09-05

9月4日(木)。昨日の暑さも一段落したので、早めに昼食を済ませ、所沢まで行く。若手の美術家たちの自主企画展「所沢ビエンナーレ」・プレ展覧会「引込線」が開催されているのだ。所沢在住の美術家が市内某所に集まって熱い議論を交わし、以下の「企画概要」の趣旨を、意気投合したという。


《発足当初からの主旨は、「表現者の原点に還って作品活動のできる場をつくること」でした。なぜなら、表現者といえども、刻々とかわる時代状況や美術思潮の変遷から無縁ではなく、そうした意味で、現在こそまさに、表現の純度、表現の強度を保つことの困難な時代状況にあると思われたからです。
その要因のひとつは、バブル期以降の美術をめぐる経済の肥大と衰弱。そしてその波の中で、多くの美術家や美術館員が指針を見失っていったこと。もうひとつは、その自己崩壊のなかで、美術思想は衰弱し、逆に、それに反比例するかのように、美術作品の極端な商品化、状況のコマーシャル化が進行していったことにあります。
たとえば、秋葉原風俗を背景にした一連のフィギュア・ポップもその一つといえますが、その凍りついたような人工性と一面性と表層性が、無差別殺傷事件に象徴される、深層からの逆襲を招いたといえます。美術思想とは本来、表面から闇に向かって垂直に下りてゆくパースペクティブを獲得する知であったはずですが、闇を欠いた表層の美術とその周辺は、皮肉にも闇の側に飲み込まれることになったのです。美術が今取り戻さなければいけないのは、表層の快楽ではなく、闇を含めた存在の全体性の回復なのだと思います。そして、今それをなしうるのは、ギャラリーでもなく、美術館でもなく、作家自体の行動なのだと考えます。》


参加作家は、いずれも所沢にゆかりのある遠藤利克、戸谷成雄、中山正樹などのベテラン・中堅に、若い世代を加えた約15名の美術家。その他、カタログへの執筆参加者が15名、パフォーマンスの参加者や、公開制作者も含めると、総勢40名くらいにはなるだろうか。

会場は駅から歩いて2〜3分の西武鉄道の敷地内の、元々は整備工場として使われていた建屋の中のスペースで(写真上掲)、体育館2棟分くらいはあるだろう。天井を見上げれば、クレーンが縦横に走っていた様子も目に浮かぶ。また床のコンクリートには機械油が垂れ落ちて染み込み、重機械の置かれていた痕も残っているようだ。「引込線」というタイトルが、いかにも似つかわしい。鑑賞者を「引き込む」という意味も当然含まれている由。

概して言うと、若手の作家は、作品自体の中に閉じこもりがちで、作品が置かれる「空間」ないし「環境」がうまく活かされていないのに対し、中堅・ベテラン作家は、この特異な環境をうまく活用しており、さすがと思わせる。特に遠藤利克の「鏡像段階説+空洞説」は、巧みな作品だ。

公開制作では、M美大の学生(研究生?)が、巨大な木を彫っておられた。あたりに芳香が立ち上っているので、つい「何の木ですか?」と尋ねると「クスノキです」とのこと。そういえば樟脳の匂いがする。カンフル剤の材料としても使われるそうだ。(断片を少し頂いたが、香りは全く衰えず、嗅いでいるだけでリフレッシュされ、元気が出てくる。無責任な政治家どもに嗅がせてやりたいものだ。)

小一時間で見終わり、カタログを予約して会場を出ると、向うから三人連れがこちらに歩いてきており、その一人がこちらに手を振ってくる。見ると、知り合いの美術館傾斜、もとい、美術関係者だった。その脇には高名な美術評論家○生○郎さんも歩いておられる。知り合いはこの企画の関係者の一人で、○生さんをご案内したのだそうだ。もう一人の連れの若い女性は、○生さんのお孫さんとのこと。

回れ右をして、再び引き込まれるように会場に戻る。○生さんが入っていくと、居合わせたスタッフ全員が立ち上がり、あたりに緊張が走る。美術評論の大御所で、硬派の方だから、無理もない。たぶんもう80歳を超えて若干足を引きずるようにされるが、それでも会場の隅から隅まで歩いて、丁寧に見ておられた。

やがて入り口のところまで戻って来られ、椅子に座って一休み。スタッフを交えてしばらく雑談をされた後、「じゃあ、帰りますか」という。そのまま駅まで一緒に戻ると、「タバコを吸いたいから、喫茶店に入りましょう」と、うれしいお誘い。喜んでお供する。(「禁煙席のみ」という店ばかりで困ったが、ようやく百貨店の1Fの○ージー○ーナーに喫煙席があるのを見つけた)

展示をご覧になっているときには、あまり前向きの反応ではなかったように見えたので、実際にはどのような感想なのかを知りたくなり、思い切って「展示された作品のレベルに少しバラツキはあるようですが、学芸員のお仕着せでもなく、画商の商業ベースでもない、また行政サイドの町おこしの手段にもなっていない、作家の自主的な企画展として、意義があるのではないでしょうか」というと、あっさり「それはそのとおりです。」とのこと。ホッとし、調子に乗って、瀧口修造のことや富山の美術館のこと、画商のことなどを、しばらくお話した(といってもこちらはもっぱら話を伺う立場だったが)。さらに話は舞踏やドイツ・東欧のパフォーマンス・アートのことなどに広がった。めったに聞ける話ではない。録音しておけばよかった。

やがて5時のチャイム?が鳴り、店を出ることにする(結局、コーヒー・ゼリーをご馳走になってしまった)。三人はそのまま帰るというので、駅前でお別れし、私は駅の東口で開かれている古書市に回る。
ロータリーの向かいの建物の広いホールに古書・古書・古書。財布の口を固く閉めていたはずだが、文庫本を中心についつい20冊ほど買い込んでしまった。蒸し暑いなか、2時間半かけ、ふうふう言いながら帰宅。一風呂浴びてから調べてみると、3冊はすでに持っている本だった。どっと疲れが出てしまった。