今日の反核反戦

selavy2008-09-14

9月13日(土)。午前中に家を出て、東武東上線つきのわ駅へ。雑木林と草むらの間の道を30分ほど歩いて原爆の図丸木美術館まで行き、「今日の反核反戦展2008」と、そのオープニング・イベントを見る。(途中、前日に続いて横浜駅ビルでの買い物をしたため、予想外に時間をくい、美術館に到着したのは3時を過ぎになってしまった。)木々の緑で覆われ、先日拝見した大道あやさんの作品の世界そのままだ。
入館手続きをしているうちに、針生一郎館長のスピーチが終了し、続いて出品作家の長老格の池田龍雄さんが立ち上がられた。どうやら靖国神社に関する話を、館長から引き継がれたようだ。その後、出品作家の間に相互の講評を通じて作品の質の向上を図るべきか否かをめぐり少し議論が起こったが、再び池田さんがマイクを持って、「個々の作品について質が高いか低いかは、一概に言えない」と議論を引き取り、社会的には評価が極めて高く、各方面で活躍されている某日本画家の例を出されたので、誰もが笑ってしまい、そのまま場も治まった。
この後イベントは、いくつかのパフォーマンスの上演に移った。最初のパフォーマンスでは、参加者は列を作って並ぶように要請された。作家集団の列に加わり、しばらく館の前に立っていると、やがて「では始めます」と声がかかり、隊列はゆっくり館の中に入っていった。
列はそのまま1階一番奥の「水俣三里塚原発」の図の展示室に入っていき、そこでしばらく蛇行が繰り返された。20人くらいの参加者の熱気で部屋全体が次第に蒸し暑くなり、思わず抜け出して表に出たくなるほど息苦しくなってきたが、「描かれている人々の苦しさに比べれば何ほどのこともない」と思い直して、そのまま歩き続けた。
やがて隊列は展示室を出て入り口の方に戻っていったが、私だけ抜け出して、途中の二つの展示室で今回の企画展への出品作家の作品を見ることにした。60〜70点の平面の前を通り、立体の間を抜け、再び駆け足で隊列を追った。2階の展示室に上がっていくと、パフォーマンスはまさにクライマックスを迎え、参加者が「原爆の図」に向かって立っているところだった。慌てて一番手前の図の前に立った。ちょうどそこで最初のパフォーマンスは終了となった。
そのまま2階の展示室に残り、「原爆の図」の第1〜8部、11部、13部を見る(各部のタイトルは「幽霊」「火」「水」「虹」「少年少女」「原子野」「竹やぶ」「救出」、「母子像」「米兵捕虜」)。
階段の脇に掲示されているパネル(執筆者は河北倫明氏)の解説によれば、「原爆の図」は、1.作品の主題と内容の重要性、2.(伝統的な日本画の)製作技法・技術、の二つの点から見て、20世紀を代表する美術作品の一つであるとされていた(と思う)。もちろん同感だが、それ以上の何か、たぶん既成の美術史の枠組みでは測りきれない(測ってはいけない)部分があるような気がした。これが何かはたぶん大きな問題だろう。
傍らでは先ほどのパフォーマンスを演じたグループの3人が向き合って立ち、腕を激しく動かしながら、彼らだけのパフォーマンスをさらに演じ続けていた。最後まで見た。表の広場に出ると、オープニング・イベントは「乾杯」が終わり、参加者の歓談の時間に移っていた。飲み物も食べ物も、関係者の差し入れと手作りだというところが、いかにもこの館らしくて好ましい(次回は私も差し入れを持参しなくては)。
インドネシア人の招待作家の挨拶があり、さらに続いて2番目、3番目のパフォーマンスも演じられた。その合間を縫って学芸員Oさんにご挨拶し、少し立ち話をした。このところ丸木スマ展、大道あや展、各種取材・撮影などが相次ぎ、昨日は写真家の石内都さんも来訪された由。毎年、この企画展の初日がもっとも忙しいそうで、この日もイベントの司会・進行係として大車輪のご活躍だった。出品点数も多いし、一言ある美術家たちが大勢集まるのだから、いろいろ気も遣われることだろう。

(オープニング・イベントの様子は、学芸員Oさんの「日誌」に詳しく記載されています。http://diary.jp.aol.com/454hpkhtj/

ころあいを見て館長にご挨拶。また池田龍雄さんにもご挨拶し、今回の出品作品「散りそこねた桜の碑」(上図)のテーマともなっている特攻隊での体験や、出撃寸前で終戦後を迎え、水戸の航空隊を除隊となった後に、郷里の九州にたどり着くまでの顛末などについて伺った。「途中で広島駅に着いたときは霧がかかっており、視界が50mほどしかなかった。見渡す限り何も見えないので目を疑ったが、ホームのコンクリートはそのままだったので、確かにそこは駅だとわかった。そして、これは例の新型爆弾のせいなのだと、その威力をまざまざと感じた。たしか8月23日前後のことで、あたりには腐臭が漂っていた」とおっしゃっていた。
時間を見るとすでに6時過ぎ、東側の川岸の林の上には、きれいな丸い月が昇っていた。池田さんに「そろそろ失礼します」と申し上げると、「僕もそろそろ帰ります。車で来ているから、途中まで乗せていってあげますよ」と言ってくださった。ちょうどその時、道路の方から「誰かバスに乗る方、居ませんか? あと何人か乗れますよ」という声が聞こえてきたので、池田さんと学芸員Oさんにご挨拶して、停車しているマイクロバスへと走った。
先に何人かの来館者が乗っておられ、車内で今日のことなどを話しているうちに、森林公園駅に到着。降りると、館長さんも乗っておられたことがわかった(というより、館長さんを送るバスに便乗させていただいたということだ)。4人でそろって東武線の池袋行き急行に乗り込む。
他の方は、自らも唄うという人形作家さんと、韓国美術の研究者の方で、二人とも女性だった。お二人の活動について話を伺っているうちに、電車は川越市和光市を過ぎ、池袋に到着(車内の冷房が効きすぎて、風邪でも引かれないかと心配だったが、館長さんはあっさり「寒くないです」とのこと。ほっとした)。ここでお別れし、山手線・東横線を乗り継ぐ。途中、横浜の地下街で遅めの夕食にしたので、家に着いたのは9時をかなり過ぎていた。