室町将軍家の至宝

selavy2008-10-22

10月18日(土)、9時前に家を出て、新横浜駅へ。指定席を取ってある「こだま」まで少し時間があったので、新しくオープンした駅ビルを覗いてみる。パン屋で昼食用のサンドイッチを買った後、どういう店が入居しているのか眺めながら、ぶらぶら売り場を歩き回っていると、後ろから「何や、セラヴィさんやないか!」と声を掛けられた。
振り返ると、何と元の組織の若頭だった。「あっ、若頭! お久しぶりでござんす」と、ついつい昔の呼び方で答えてしまったが、すでに額は見事に生え上がり、残った髪も白く変わって、ご老体の風貌。お目にかかるのは15年振りくらいだから無理も無いが。「いま、何をしているんや?」と訊かれたので、「いえ別に何も」と答え(迷いながらも)名刺を渡す。「さよか…。一度、事務所に顔を出しなはれ。あんたはんほどの腕があれば、いつでも大歓迎や。」といわれ、「はあ、心がけておきます」とか何とか、曖昧な返事をする。若頭の方は、束ねていた島を若衆に譲り、今は顧問格となったが、それでも週2〜3回は顔を出しているそうだ。この日はたまたま名古屋まで視察を兼ねて「玉転がし&芝刈り」に出掛ける由。次の「のぞみ」に乗るそうで、エスカレーターまで付いていきお見送りする。(同じ電車でなくてよかった!)


昼過ぎに名古屋に到着。その足で市美術館に行き、畏友マン・レイ・イスト氏ご推薦の「ピカソとクレーの生きた時代 ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵作品展」を見る。確かにクレーの収集はかなり充実しているようたが、クレー美術館なども出来ている今日の眼からすると、それほど点数が多いようには見えない。展示に付された解説も、いくつかはやや首を傾げる内容だった。だが、そんなことより、ナチスによって退廃芸術の烙印をおされたクレー作品の(元からあった)収集を復元してさらに拡大することが、戦後のドイツの美術館にとってどんなに重要なことだったか、この点を知る事ができたことが何よりも収穫だった。
あまり見る機会のないフランツ・マルク、アウグスト・マッケ、マックス・ベックマン、カルロ・カッラや、シュルレアリスムの周辺に居たというリヒャルト・エルツェの油彩を見ることができたのも収穫。R.ドローネーの油彩「窓」にはシビレた。3点のカンディンスキーの壁画下絵、マン・レイの油彩「詩人ダヴィデ王」、タンギーの初期(1928年)の油彩「暗い庭」(ブルトン旧蔵)も、印象に残った。


続いて、市美術館からバスに20分ほど揺られ、徳川美術館へ。(名古屋市内はもともと道の幅が広い上、元の市電が走っていた部分がバス専用レーンになっており、渋滞がまったくなかった。)この美術館を訪れるのは初めてだ。3時前に到着したのだが、常設展も点数が多く、これを見始めるととても時間が足りなくなるだろうと、すぐに見当がついた。常設はそのまま通り過ぎることにして、第6室からの特別展「室町将軍家の至宝を探る」を見る。
素晴らしい展覧会だった(個人的には本年のベストか)。展示されるのは大正6年の入札以来という李迪「犬図」(狩猟犬サルーキの親子。探幽による模写はどこかで見たことがあると思うが、思い違いだろうか)、近年再発見された伝馬遠「高士探梅図」、伝趙昌「茉莉花図」などはもちろん、教科書で見たことのある玉澗、牧谿、夏珪、梁階などの代表作がそれこそ目白押し。さらに能阿弥「花鳥図屏風」、藝阿弥「観瀑図」、相阿弥「瀟湘八景図」などの基準作や、(伝)周文、祥啓、藝愛らの日本の水墨画が並べられ、これらも細部までじっくり眼に焼き付けた。特に藝阿弥の緻密な画面構成は凄かった。
能阿弥、藝阿弥、相阿弥の三代に渡る「同朋衆」の家系は、室町幕府の文化戦略を担い、収集・管理から展示プランの立案、展示品の選定、さらには、鑑定・評価まで仕切ったわけだが、収集品に附属する各種の文書が展示され、その実際の仕事の在りようを窺い知ることもできた(解説も実に的確だった)。この同朋衆の姿が描かれた唯一の図像である「足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻」も展示されていた。坊主頭に赤い装束、白袴という同朋衆の姿は、予想外に可愛かった。(上図の最下部の、トリミングされて上半身のみとなっている人物が、同朋衆の一人。)
すぐに2時間が経ってしまい、庭を拝見する時間が5分程度しかなくなってしまった。企画展示自体も、別館の蓬左文庫に続いていたことが後でわかったが、見落としてしまったようだ。いつか丸一日くらいかけて、ゆっくり拝見したいものだ。(館内にも庭園にも、和服姿の女性の姿が目立った。たぶん大きなお茶会が開催されていたためだろうが、こういうところもこの土地の文化の厚みが窺われ、羨ましく感じられた。)
バスで名古屋駅まで戻り、名鉄ビルの地下でおにぎりを買ってから、高速バスで富山に向かう。(おにぎりは、その場で握ってくれるので、海苔の香りが実に芳しかった。コシヒカリの新米に、具はシャケ、たらこ、ちりめん山椒、紫蘇。まさに日本人冥利につきる。)車内も二人がけのシートを一人で占領することができ、実に快適だった。
途中、高山あたりの高原のパーキング・エリアで15分ほどの停車時間があったので、バスから降りてみたが、下界の夏のような暑さとはうって変わり、外はまさに秋の高原だった。空気ひんやりとし、空も冴え冴えとしており、レモンの形をした月が美しかった。夜9時過ぎに富山に到着した。(続く)