上野・神保町・淡路町

selavy2008-11-09

11月8日(土)、昼前に出掛け、上野の東京都美術館で開催されているフェルメール展の関連シンポジウムを聴講する。出席者(パネリスト)はフェルメールが専門の学芸員一人と大学教授二人、司会(自らの発表もあった)はドイツ美術が専門の名誉教授、この合計四人。
日本のフェルメール研究の第一線に居られる方ばかりの超豪華メンバーだ。しかも、司会の長老格の方以外の三人はほぼ同世代で、学生時代からの研究仲間ということもあり、ほのぼのとした雰囲気(こういう機会では珍しいことだ)。演題はそれぞれ、1.日本におけるフェルメール受容。2.フェルメールとPerspectief。3.「小路」に関する諸問題。4.フェルメールの作品に見られるアルス、主題とモチーフ。 

1.日本で最初にフェルメールの作品が展覧会に出品されたのは、いつのことか。またこれほどまでの人気が出るようになったのは、いつからか。(最初に展示されたのは1968年。以降ほんの数点にすぎない。ある程度まとまって展示されたのは2000年の「フェルメールとその時代」展がはじめて。今回はそれ以来となる)
2.ハーグの名門の若者が1669年にフェルメールを訪れ「そのperspectiveを見て強く好奇心をそそられた」という日記を残しているが、この「perspective(オランダ語でperspectief)」とはどういう意味で、この若者はどういう作品を見たのか。(上掲「絵画芸術」である可能性が高いとの見解。そこから話はフェルメールがいかに緻密に画面を構成しているかに展開された)
3.「小路」という作品の特殊性、制作年代、描かれた場所、制作動機など。(「ユリイカ」への寄稿を敷衍された内容で、フェルメールが少年時代を過ごした家の裏手に位置していたフォルデンス・フラハトの家と、隣接する養老院の一部を忠実に再現したとする仮説を再検証する内容)
4.特に「絵画芸術」という作品の主題について。この作品(上掲)は月桂冠を被りトランペットを手にした女性モデルを画家が描いている光景を描いたものだが、これは絵画の制作というものを自由学芸(リベラル・アーツ)と並べて位置づけようとしているように思われる。絵画術という芸術そのものを主題としたものである。

どの発表も中身がギッシリで、各発表者とも持ち時間を15分くらい超過したようだ。結局、パネル・ディスカッションの時間は省略され、4人の発表後、そのまま質疑応答に入ることとなった。内容のある質問が多く、発表も質疑応答もなかなか充実したシンポジウムだった。
出席者の教授一人は、今回の展覧会に出品されている7点の中の3点、すなわち「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち 」「ヴァージルの前に座る女」を、フェルメールの作品とすることに疑問を持っておられるとわかった。以前、私が見たときもこの3点には少し違和感を覚えていたので、教授がこのように判定される根拠を是非とも知りたくなった。ご著書であるフェルメールの研究書を拝読しなくてはなるまい(八坂書房から増補改訂版まで出されている)。
(私が見たのはつい先日のことのように思えるが、何と8月のことだ。ついでながら、私の眼も捨てたものではないようだ http://d.hatena.ne.jp/selavy/20080808


会場に居た知り合いを誘って、御茶ノ水から神保町に回り、某T書店に行く。ちょうど店主のご母堂が店から出て来て、帰宅されるところだった。「お久しぶりですね」と挨拶すると「身なりがいつもよりキチンとしているから、気がつかなかったわ」と言われてしまった。苦笑しながら「今日はある学会の会合に出てきたもので」と説明する。(いつもいかにラフな格好をしているかということだ。)そのまま健康状態のことや(不)景気のことなどを少し立ち話。「景気がいいのはTさんくらいですよ」というと、「あら、うちだって景気が悪いわよ」と言い残こして帰って行かれた。
店頭の均一本を少し漁ってから、店のなかへ。今日は知り合いと一緒だったこともあり、あまり話をしなかった。すぐに6時になり、店主に挨拶して店を出る。その後、新刊書の特価書店に回り、学術系の文庫を何冊か買う。
平日ならM翁に行くところだが、土曜日は早めに看板となるので、そのまま淡路町まで歩き、手打ち蕎麦「Mや」に入る。焼き鳥、天ぷらなどを酒肴にビールを飲み、〆にざる蕎麦を誂える。蕎麦も酒肴も酒もM翁の方がはるかに美味いと思うが、この店の庶民的な、まるでパリのカフェを想わせる雰囲気も捨てがたい(年月だけが創り出せるものだ)。お勘定もまあリーズナブルだろう。秋葉原駅まで歩き、知り合いと別れて、JRで帰宅。