瀧口日和(その2)

selavy2008-12-10

12月7日(日)、フランス人の美術研究者F先生にお目にかかるため、午後3時に表参道に行く。声を掛けてくださった仏文学者A先生の方が先にいらっしゃっていた。「F先生、このあたりに住んでいる日本人の教え子に昼食に招待されているそうで、まもなくいらっしゃると思います」とのこと。そのまま二人で近所の喫茶店に入る。
しばらくすると、教え子のB先生(表参道在住)と高名な仏文学者C先生に伴われて、F先生がいらっしゃった。そういえばB先生・C先生はF先生の著書の翻訳者だった。少し立ち話した後、「喫茶店より研究室で」ということになり、タクシーでA先生の勤め先の大学まで移動。車中のの会話で、F先生は1970年代から何度も日本にいらっしゃっていると判明(今回が6度目か7度目らしい)。フランスのシュルレアリスム絵画などを研究する傍ら、日本美術、特に1920年代からの前衛絵画に関心をお持ちで、以前、来日されたときには福沢一郎と小牧源太郎にも(通訳を伴って)インタビューされたそうだ。
やがて大学に到着。ちょうど夕暮れから日没にかけての時間帯で、「日本は空も街も光がとても美しい」とおっしゃっていた。研究室の隣の小会議室に入り、持参した資料を見ていただいた。だが、1930年の「アトリヱ」シュルレアリスム特集号や「みづゑ」の特集号「アルバム・シュルレアリスト」など、持参した資料の多くは、前の来日の際すでに調査済みだった(目次や図版リストを活字化しリーフレットにされていた!)。
その中で、阿部金剛の「シュールレアリズム絵画論」(天人社、1930年)は「初めて見る資料だ」と喜んでおられた(が、図版を見てシュルレアリスムといえるかは、少し疑念を抱かれたようだ)。奥付の著者検印のシールを珍しそうにご覧になって、「これ、何?」と訊かれたので、日本の検印の仕組みを説明すると「とっても合理的ね!」と感心されていた。
やがて瀧口訳『超現実主義と絵画』についての話の流れから、話題はほぼ瀧口修造に絞られた。前に福沢一郎にインタビューしたことがあるくらいだから、瀧口のこともある程度の予備知識はお持ちで、むしろ話がしやすかった。
1930年代のパリのシュルレアリスムとの関係、「カイエ・ダール」シュルレアリスム特集号への寄稿、若い前衛画家たちとの関係、政治的立場、特高に検挙された事情、太平洋戦争中の戦争画や瀧口の署名入り記事の問題、戦後の批評活動、ヴェニスビエンナーレに行ったときの話、60年頃からの瀧口自らの水彩・デカルコマニーから最晩年のオブジェの店を開く構想に至るまで。F先生はメモをとりながら、興味深そうに聞いておられ、時おり、鋭い質問が来る。特に「オブジェの店」については非常に面白がっておられ、目を輝かせながら「本当に店を開いたの?」と聞かれた。「いや、あくまでも架空の、コンセプチュアルなもので、美術品の展示・流通システムの別の姿を構想しようとしていたようです」とお答えすると「ああっ、なるほど」と感心されておられた。
2時間ほど話したところで、切り上げる。持参した資料の図版頁などをA先生がコピーして下さっている間に、F先生に著書にサインをいただいた。そのまま3人で少しはなれたJRの駅まで歩き、近くのモダンな和風食堂に入る。海老とアボガドのサラダ、マグロのフライ、牛タンなどに赤ワイン。
F先生、来日中にNHKから急に声が掛かって、佐伯祐三について話してきたそうで、食事の間はほぼ佐伯の話題(上図)。なぜあれほど人気があるのか、なぜ死に至ったか、などなど。A先生はブルトンについての論文も発表され、翻訳もある方なので、「そういえば、佐伯はオテル・グランゾム(偉人館ホテル)に泊まっていたんですよ」と話を向けると、間に入って通訳してくださったA先生の方が驚いて「えーっ?」と訊き返してきた。「いや、佐伯はブルトンと同時代の人で、佐伯がパリの街を描いていたのは、まさにブルトンがアンゴの館で『ナジャ』を書いていた頃で、ブルトンと入れ替わるように偉人館ホテルに宿泊しているのですよ」と説明し直した。
F先生の方は「オテル・デ・グランゾム」「ナジャ」などの言葉で私が何を話したかすぐわかったようで、「そうそう、そうなのよ。ちょうどブルトンと時期が重なっているのよね。佐伯がオテル・デ・グランゾムに泊まったことに反応した日本人は、あなたが初めてだわ。やっぱりシュルレアリスムに関心をもっていると、いつもブルトンの動きや顔色を伺う癖がつくのね」という意味のことおっしゃったので、3人で大笑いとなった。
そこから「同時代の人なのに、佐伯の方が古いように感じるのは何故か」という、比較文化の問題に話が展開していった。翌日には教え子のB先生と箱根に行くとのことで、最初は「あまり遅くならないうちに」とおっしゃっていたのだが、結局、閉店時間までいることになった。
F先生・A先生は方向が同じだそうで、タクシーに相乗り。私はJRで帰宅した。瀧口修造生誕105年の誕生日に相応しい、楽しい一日となった。