一人展など

selavy2008-12-25

12月19日(金)、一年ぶりに健康診断を受ける。心配していた血圧は何とか正常範囲に収まっていた。体重はあれほど努力したつもりなのに、ほぼ横ばい。今年から腹囲も計測された。○○センチ。メタボの基準を軽く超えている。去年は「要精密検査」となって、大きな病院を訪ねる羽目になったが、さて今年はどうだろう。

12月20日(土)、知り合いの画商さんと誘い合わせて昼食をともにした後、世田谷美術館の「山口薫―都市と田園のはざまで」展を見る(右図は「花子誕生」1951年)。その画商さんは昔、山口薫に洋画を教わったことがあるという人で、会場を回りながら、要点を解説して下さった。
初期のフォービズム風の風景画、ピカソ風の人物画などは、当時の西洋絵画の動向を熱心に研究していたことがわかる。さらに30歳に達した1930年代後半頃には、叙情的な色彩で理知的な画面を構成する独自の画風にいたる。以後、60歳で亡くなる1968年まで、着々と画業を展開した跡が辿れる。特に第二次大戦中に描かれた「銃」「ある葬送」「水」「紐」などの作品が心に残った。
他に回るところがある画商さんとはここで別れ、午後2時から群馬県立近代美術館学芸員さんの講演を聴く。1時間半を超える詳細な説明で、情報量が多かったが、もう少しコンパクトでもよかったかもしれない。講演後、再び会場を一回り。図録を買おうかと思ったら、売り切れだった。最近NHKの美術番組で紹介され、入場者が急増したそうだ。主催者側にとっては喜ぶべきことなのだろう。
2階の常設展「難波田史男展」。点数が多く、なかなか見ごたえがあった。学芸員のNさんに挨拶して会場を後にする。
田園都市線半蔵門線で神保町へ。某T書店に行く。店頭特価本に「ユリイカ」などが出ていたので、何冊か購入。店主と若冲や永徳のこと、さらには年末年始の過ごし方などを話す。クレーの研究書などを購入。御茶ノ水からJRで帰宅。

12月23日(火)、昨年から始まったF書房の「一人展」に行く。(朝一番に家を出るつもりだったが、年賀状の作成に昼過ぎまでかかり、神田の古書会館に到着したのは2時を少し回った頃となってしまった。)
会場に入るとショーケースの向こう側に店主が立っていた。早速ご挨拶し、今回の目録に掲載された本や、私の今の蒐集状況、さらには先日の某テレビで鑑定された宮沢賢治資料のことなどをうかがう。瀧口修造の書肆山田刊『地球創造説』に協力した時のことなども話してくださった。
会場には旧知のKさん(稀覯本の若き大コレクター)もいたので、ご挨拶する。今回の売れ行きについて聞くと、目録に図版が掲載された本の大半は、注文が3〜4件重なり抽籤となった由。やはり(数十〜百万円くらいの価格帯の)めったに出てこない稀覯本には、熱狂的な固定客が居るということだろう(ただ一般的な数千円〜数万円あたりの本は、売れ行きに翳りがあるようだ)。この日も開場前に熱心な愛好家が列を作ったため整理券まで配布されたそうで、事前に売れた本以外でも、めぼしい商品は12時の開場と同時にこうした人たちに買いつくされてしまったらしい。某T書店でよく顔を合わせる知り合いなどの姿もちらほらお見かけした。
もう一人の稀覯本界の重鎮Oさんの姿が見えないので、Kさんに「どうしていらっしゃる?」と訊くと、「今ちょうど食事に出ている」とのことで、Kさんがわざわざ携帯で呼び出してくれた。早速ご挨拶し、先日の早稲田付近の研究会で発表した際、Oさんが編集された詩集と年譜が大変役に立った旨お礼を言う。Oさんは、編集作業のことや、使った資料の行き先などを教えてくださった。
堀口大学上田敏の評論集2冊を買い、会場を後にする(計3300円也)。この後、美術書を中心にしているK書店、Bギルドなどをハシゴ、さらに新刊書店を3軒覗いて、JRで帰宅。