消防車・美術館・消防車

というのも妙なタイトルだが、朝方、けたたましいサイレンの音で眼が覚める。近くで火事があったらしく、何台もの消防車が現場に急行しているのだった。また眠ることもできないので、そのまま起きだし、朝食にする。

食事中、ふと「今日は雨だから涼しいし、昨日から始まった<若冲と江戸絵画>展も、それほど混んではいないだろう」と思い当たり、同好の士に声を掛けてみると、
「行く、行く」という返事なので、上野まで出かける。

今回展示されている「プライス・コレクション」は、このコレクションが無ければ今日の若冲への評価は無かっただろうといわれるほどで、当然ながら若冲の作品はどれも素晴らしいはずだが、若冲以外にも抱一や其一をはじめとする江戸琳派や、応挙などの京都画壇の作品なども素晴らしいとの話なので、拝見するのを楽しみにしていたのだ。

美術館に到着してみると、思惑が見事に当たった。それほどの混み方ではなく、落ち着いて観ることができた。

第一章「正統派絵画」に、渡辺始興「鯉魚図」と「伊年」印(つまり宗達工房作)の「芥子薊蓮華草図」が並べて展示されており、これを観た時点ですでにシビレてしまった。

第二章「京の画家」では、応挙の「赤壁図」の空間表現が見事だし、岩井紅雲「三千歳図」に描かれた桃の形や色がエロくて素晴らしい。

第三章「エキセントリック」は若冲蕭白を中心とする展示で、どれも素晴らしいが、なかでも若冲がまだ景和と号していた若年期の「葡萄図」の知的な構成に惹かれた。実はこの作品こそプライス氏が最初にコレクションした作品だそうだ。

第四章「江戸の画家」といっても、プライス氏は浮世絵はあまり好まないようで、美人画はそれほど多くない。伝河鍋暁斎「達磨図」や蹄斎北馬「隅田川図」などが面白かった。

第五章「江戸琳派」は第三章と同様、きわめて見応えがある。特に其一「青桐・紅楓図」「貝図」「狐の嫁入り図」「月下波上千鳥図」などは、どれも描いてある以上の何かが見えるような、不思議な画面だ。

この後、プライス氏の持論に従って、照明の光を劇場のように変化させて見せる展示が続くが、これは少しやりすぎかもしれない。豪華な展示作品ばかりですでにクタクタになっていたためか、なかなか落ち着いた気持ちで画面に集中することができなかった。ここに展示してあった屏風絵などは、日を改め、気合を入れなおして観に行かなくては。

最後に展示してあるのは応挙「懸崖飛泉図屏風」。この屏風に、再び眼が洗われるような気持ちになって会場を後にすることができるのは、有難い。

一階の企画展示室にもこのコレクションから森徹山「仏涅槃図」など面白い作品が10点ほど展示されている。これは見落とせない。(夏休みの子供向けの企画のようだが、なんとも贅沢な。それにしても、プライス氏はかなり寛容でユーモアを解する方のようだ)

上に挙げた以外の作品も、きわめて質が高く、大満足の展示だった。この上さらに常設まで見ようという気は起こらないし(珍しいことだが)、まして他の美術館に回りたいとは思わない。ロビーでお茶を飲んでから、帰宅した。
「葡萄図」「青桐・紅楓図」を観るためだけでも、また訪れる価値はあるだろう。

JRで自宅の近所の駅まで戻ると、駅前のビル兼マンションの前に大型消防車やパトカーが何台も止まっている。どうやら上の方の階の一室で火事を出したらしい。

今日は消防車で明け、消防車で暮れた、珍しい一日となった。これならミサイルがいつ飛んできても、大丈夫だ。