雪舟への旅(第1日)

26日(日)、10時5分羽田発。前の二人席が空いている。スチュワーデスさんが「よろしければどうぞお移りください」と声を掛けてくれたので、有り難く使わせてもらう。機内でサンドイッチの昼食を済ませ、11時40分頃に山口宇部空港に到着。小雨が降る、あいにくの空模様だ。空港内でレンタカーを借り、一路、防府市へ。国宝「山水長巻」がすでに山口市内の県立美術館からこちらの毛利博物館に戻っているのだ。市街に入ってから10分ほど迷ったが、何とかたどり着く。

博物館は明治期の木造の建物だが、なかなか風情がある。2階からの眺めが良い。さすが明治の元勲が選んだ土地に建設されただけある。日本庭園も素晴らしい。雨が降っていなければ、日本庭園も散策したところだ。「この建物では消防設備の関係で国宝の収蔵は難しいのではなかろうか」と思っていると、奥に鉄筋コンクリート造平屋建ての新館があり、「山水長巻」はそちらで展示されていた。数年前に東博でも観ているが、何度観てもよいものだ。毛利家関連の文書なども興味深く拝見した。

そこから国道262号線を北上し、一路、山口へ。一本道のはずだが、途中で曲がるところを間違えてわき道に入り込み、また20分ほど時間をロス。ようやく国道9号線に突き当たり、左折する。標識に従い「雪舟庭」のある常栄寺に到着。雪舟が造ったとされるこの庭は、心字池の周りに岩や植え込みが配置され、順路を一周するのに7〜8分はかかる。竜安寺や大仙院の石庭に比べると、「庭」に近い感じがする。(下図左)

     

続いて浄瑠璃光寺に寄る。ここは室町時代大内氏の頃から山口禅林の最重要拠点だったところで、由緒あるなかなか立派なお寺だ。国宝「五重の塔」などを見る。この種の塔は上に行くに応じてすぼめられるものだが、ここのはそのすぼまり方が強調されているので、近くで見上げると後に傾いているように見える。(上図中)

少し戻り、雪舟の住居跡に再建された「雲谷庵」に行く。後世の再建だが、元もこんな感じの小屋だったのだろう。既に周囲には住宅が建てられてしまったが、当時は木立の中に孤立していたのではなかろうか。今も北側には山が迫り、西南方向には視界が開けている。庭先の岩に上がると浄瑠璃寺の五重の塔が見える。ここで雪舟が暮らし、「山水長巻」も描かれたかと思うと、感慨深いものがある。(上図右)



山口県立美術館に到着したのは、4時近くになってしまった。展覧会場は左右に広がり、分りやすい。最初に「七十一歳自画像」とその写の雪舟像2点、裏の壁面に近年雪舟像とされる、伝探幽筆の「琵琶を持つ老人像」。さらに「慧可断臂図」、「四季花鳥図屏風」、「天の橋立図」と続く。

   

「慧可断臂図」は何度か観ているが、観るたびにその大きさに驚かされる。「四季花鳥図屏風」は大きい屏風だが、雪舟らしくなく(?)なかなかラブリーだ。次が「天の橋立」図。これは下絵なのだろうか? 何のために描かれたのかよくわからない、不思議な図だ。図の一番下の山並みの描き方は、いつ見ても違和感を覚える。

「山水長巻」の複製と写真を観るために20分待ちの行列が出来ているのには驚いたが、これは先ほど毛利博物館で本物を観てきたのでパス。(ただ、ここに2階に上がる順路が設定されているので、全景を確認するには好都合だった。)ここまでの8点だけのために一室が充てられている。ゆったりとした展示で気持ちがよい。


2階の展示は「拙宗」と名乗っていた若い頃から最晩年まで、ほぼ年代順に展示されている。解説キャプションと展示を見比べながら、列に従って進む。近年の発見や研究成果が反映され、雪舟が元絵とした中国の水墨画や、雪舟の作品の後世の写しなども視野に入れられている。国宝「秋冬山水図」の厳しい描写がやはり凄い。

雪舟の絶筆?の「山水図」には牧松と了庵という二人の人物の賛が記されており、特に了庵の賛は、「牧松は韻を遺し雪舟は逝く」とあることから、1507年没説の根拠ともされている。1507年に了庵が雪舟を訪ねた時にはすでに雪舟が亡くなり、牧松が賛をいれたこの山水図だけが残されていた。そこで了庵が余白にこの賛を書き加えたということらしい。少し出来すぎた話のようでもあるが・・・。

再び1階に降り、雲谷派の作品を観ていると、館内放送があり、5時から学芸員のギャラリートークがあることがわかる。会場をもう一度を回ろうと思っていたので、ちょうどよかった。図録を買い、入り口近くで待つ。やがて学芸員氏が現れ、解説が始まった。雪舟がご専門らしく、非常に興味深いお話だった。解説する作品はセレクトされていたが、それでも1時間半ほどかかった。

美術館を出ると、既に表は暗くなっていた。何とかレンタカーまで戻り、国道9号線新山口まで下る。駅前のレンタカー会社に着いたのは7時15分頃だった。ここから新幹線で新大阪まで戻る。夕食は車内でお弁当を、と思っていたが、新山口駅では売り切れ、車内販売も売り切れで、缶ビールとつまみでとりあえず凌いだ。広島から積み込まれた幕の内弁当にありついたが、コンビニの幕の内弁当の方がはるかに充実している。しかも値段は2倍くらいするのだ。9時半頃に新大阪に到着。難波のホテルに入った時にはすでに10時をかなり回っていた。(続く)