「篤姫」と「竜馬が行く」

4月27日(日)、NHK大河ドラマ篤姫」を初めて見た。なかなか面白かった。たぶん続けて観てしまうだろう。
小澤征悦が演じる西郷隆盛は、下級武士出身であることを強調する演出のせいか、まだ大物の片鱗すら窺えないが、特に目と眉毛のあたりが有名な写真によく似ていて、登場してくるだけで可笑しい(といってもこの写真、実は合成写真で、本物の西郷とは似ても似つかないものらしいが・・・)。主演の宮崎あおいも、好奇心が強く聡明かつ率直でお転婆(?)と設定されているらしい篤姫のキャラクターによく合っていると思う。
ただ、鹿児島弁をしゃべる登場人物が西郷だけというのは、少し寂しいし、不自然な感じがする。江戸勤めといっても、同郷人の間の日常会話には鹿児島弁が使われていたのだろうから、薩摩藩の登場人物には全員鹿児島弁をしゃべらせないと。
そういえば、司馬遼太郎の『竜馬が行く』でも、坂本竜馬西郷隆盛などの会話の部分は高知弁や鹿児島弁で書かれていた。この本は中学生の頃の大ベストセラーで、当時愛読したものだ。その頃大いに盛り上がっていた学生運動の精神的なバックボーンのひとつだったことは、間違いないだろう。見知らぬ土地の高校に入学して初めてできた友人も、確かこの小説がきっかけだったと思う。作中の竜馬と隆盛の会話を二人で声色を使って再現したり(もちろん、どちらが竜馬役を演じるかで、常に争いがあったのだが)、さらには「○○○○は間が抜けているから、××君がいい」などと、別の登場人物に同級生を割り振ったりして、面白がったものだ。(この友人はその後仕事で中国に渡ったと聞いたが、今どうしていることやら・・・)
この小説を読んで幕末期の歴史に興味が湧き、特に竜馬と海舟のことをさらに知りたくなって、父の蔵書から岩波文庫の『海舟座談』を探し出して読み進めたのだが、そこでは西郷ばかりが絶賛され、竜馬のことは一箇所しか出て来ないので、がっかりしたものだ。しかも、かなり軽い扱いだったので、そのギャップに驚き、「なぜ竜馬のことをもっと語らないのか?」と、何の罪も無い勝海舟のことを恨みさえした。だがそのうち、逆に歴史小説にはかなりの脚色があるということに気が付き、次第に遠ざかるようになったのだから、今から振り返ると、『海舟座談』の読書体験の方がはるかに重要だったと思う。
少年チャンピオン』に連載されていた山上たつひこの衝撃的な漫画「がきデカ」にも、鹿児島弁ばかり語るキャラクターが登場していた。確か主人公「こまわり」君の女友達(モモちゃん・ジュンちゃん)の兄で、鹿児島に下宿して大学に通っているという設定だったと思う。たまに帰京してくるこの兄のことを「こまわり」君は異様なほど恐れ、慣れない鹿児島弁を駆使したり、勧められるまま銘酒「美少年」や芋焼酎を一気飲みしたりして、ご機嫌を損ねないよう必死に努力するのだが、いじめられる危険性が無くなるや否や、ふてぶてしい態度に豹変するのが可笑しかった。(「美少年」は熊本の地酒だから、鹿児島弁ではなく熊本弁だったかもしれない)
ところで、昨晩見た大河ドラマ篤姫」だが、すでに将軍家への輿入れが決まっている主人公が、相思相愛だった(?)幼馴染の肝付某に再会する場面があった。前に二人で交換した(?)、○に十字の、薩摩の家紋が刺繍されたお守りを見せて、お互いの気持ちと運命を確かめ合うところや、肝付某が、婚儀に不安を抱いているらしい篤姫に対して、「大丈夫ですよ」と励ましながら秘かに抱き続けてきた想いを断ち切ろうとするところなど、なかなか美しかった。落ち込んでいる時に、こんな風に言ってくれる友人・恋人・家族がいたら、ずいぶん心強いだろう。現実の世界の厳しさや醜さをしっかり知ってしまった私は、根拠の無い言葉で心を動かされることはないかもしれないが、こういう言葉をかける側に回りたいとは思う。
「大丈夫。あなたならきっとうまくいきますよ」