○○の夏

selavy2008-08-17

8月16日(土)。夕方、近所のスーパーまで買い物に出掛ける。豆腐、トマト、アイスクリームを買って帰る。このところ、そうめん、冷奴、トマト、アイスクリームばかり食べている。我ながらこれでは栄養のバランスが取れないとは思うが、暑くてほかのメニューを考える気力が起こらない。
知人のようにそうめんに合せて野菜の煮浸しを作るなど、工夫すればよいのかもしれないが、麺とつゆと薬味のワサビ(チューブ入りの本ワサビだ)だけでも冷たくておいしいから、ついついこれだけで済ませてしまう。(量はかなり食べるので、胸焼けをおこしたりしている。)

以前はアイスクリームをこれほど食べることはなかったのだが、最近たまたまこのスーパーで某有名乳業メーカーのミニカップを105円で売っているのを発見してしまったのだ。モンブラン(栗風味)、りんごのキャラメリゼ、ショコラ・エスプレッソ、マンゴー杏仁豆腐など、風味にいろいろなバリエーションがある。1カップ250〜300カロリーと、どれもかなり高カロリーだが、安いのをよいことに、一日2〜3カップは食べる。これじゃあ体重が減らないはずだ。アイスクリームを西瓜に切り替えるだけで、かなりのダイエットになるのではなかろうか。たぶんできないけど。


今週は神田の古書店もお盆休みだったし(いや、もう先週となったか)、美術館めぐりも渋谷の某百貨店の古書市も、暑いのでパス。もっぱら家でごろごろしていた。といっても、もともとテレビはあまり見ない方だし、スイッチを入れても、どのチャンネルもオリンピックか高校野球だから、やはり本を読むということになる。
オリンピックにはもちろん関心があり、ニュースで結果をチェックするくらいはする。選手たちの鍛え上げられた肉体は美しいし、競技・試合に臨んだり結果を受け止めたりする態度も、それぞれ感動的で立派だとは思うが(特に女子の選手のチャーミングで美しいこと!)、民放ではコマーシャルが入るし、タレントの解説やおしゃべりが煩わしい。NHKはまだマシだと思うが、ライブ中継は長すぎて付き合いきれない。それに日本の選手ばかりに応援を促す姿勢にはついていけない。
高校野球は、もともと高野連やマスコミの偽善的な姿勢が嫌いなので、見る気がしない。特に開会式など大仰で、見られたものではない。もう何十年も変わらないけれど、時代錯誤、前世紀の遺物以外の何物でもないだろう。「選手宣誓」など、周囲も生徒も大真面目らしいが、聞いていて滑稽にさえ思える。
インタビューのときなどでも、平気で「感動を与える」というようなことを口にする選手もいるけれど、そもそも学生野球はプロではなく自分のためにやるものなのだから、こんな言葉が出てくること自体、教育の一環から逸脱していることを示すものだろう。かなり前から高校野球という制度は、スポーツというより何か別の権力的な物になってしまっているのではなかろうか。
(今年は地元の高校と若干ゆかりのある高校の2校が出場し、そのうち1校はまだ残っているようだから、優勝して地元の商店街が安売りセールでもしてくれればよいのだが・・・)
スポーツ番組では、大リーグ中継が比較的うるさくなく、淡々としていて良いと思っていたが、オリンピックに取って替わられたらしい。普段はあれほど日本人大リーガーにばかり時間を割いているのに、どうしたことだろう。これでは一貫性を欠いているのではなかろうか。
NHKは受信料を徴収し、しかもチャンネルが4つも5つもあるのだから、そのうちひとつくらいはニュース(と政治討論・国際情勢・経済情報)専門にするとか、ドキュメンタリーとNHKスペシャル専門にするとか、もう少し工夫があってよさそうなものだ。CS放送並みの水準が保てず、民放の後追いで商業的・娯楽的になるのなら、受信料を廃止するべきだろう。


というわけで、ようやくここから、上に書いた「本を読むことになる」の続き。読書といっても、もともと守備範囲は広くなく、本そのものが好きというわけでもないので、瀧口修造関係を別にすれば、そのときそのときの関心の向く分野に限られてしまう。目下、言語論や物語論の本を読んでいる。もちろんソシュールとかロラン・バルトなどの、もはや古典となっている基本文献くらいなら手元にあるけれど、近年の解説書まではないから、先日、図書館に行ってまとめて借りてきた。
だが、図書館の本はどうも汚れているような気がして、触れるのに余計な神経を使ってしまい、いまひとつ集中できない。何事もやはり身銭を切らないといけないようだ。これではとても「読書の夏」とはいえない。