今日思い立つ旅衣

神奈川県立金沢文庫で「頼朝・範頼・義経武州金沢に伝わる史実と伝説−」展を観る。鎌倉時代南北朝時代の貴重な文献の数々は興味深かったが、図像には観るべきものがあまりなく、バランスが悪い。これで「金沢文庫開館75周年記念企画展」は少しキツイ。

暑い中、瀬戸神社まで歩き、お参りした後、少し休む。境内の木に結ばれたお札は、何故か「〇〇に合格しますように」といった、学業成就を願うものばかりだった。

その後、金沢八景から京浜急行で汐入まで行き、横須賀芸術劇場の蝋燭能「船弁慶」を観る。演目は盛り沢山で、素謡「神歌」、舞囃子花月」、狂言「鈍太郎」、蝋燭能「船弁慶」。重要無形文化財保持者が三人も出演する豪華なキャスティングで、S席3000円とは、驚くべきリーズナブルさだ。

鈴木佐太郎の神歌は、今年89歳とはとても思えぬ、艶やかで力のある若々しい声だった。金春安明の舞囃子花月」は所作の切れ味が抜群だった。野村万作の「鈍太郎」は、プログラムにもあるとおり、至芸としか言いようがない。ずいぶん歳をとって声も枯れてきたが、歩くだけで、そこに居るだけで感じる滑稽さに、ますます磨きがかかり、先代の万蔵に雰囲気が似てきたようだ。

船弁慶」では、静御前(前シテ)を演じた観世喜之の、舞っても舞っても抑えきれない別れの哀切さの表現は見事だったし、弁慶(ワキ)を演じた若手の福王和幸の存在感と低く朗々とした声、知盛(後シテ)を演じた観世喜正のおどろおどろしさと圧倒的なスピード感も、素晴らしかった。

何より良かったのは、蝋燭の炎で薄暗く照らし出す、船弁慶の蝋燭能の演出だったかもしれない。一行が船出した後の場面では、舞台の後ろ側の幕が上げられ、能舞台の向こう側にも、火が灯された蝋燭が出現するのだ。舞台の奥行き・空間が強調されて広い海原の真っ只中にいる心細さがうまく表されていた。

広島に原爆が落とされてからちょうど60年目の日に、200本の蝋燭で照らし出された舞台を観たことは、長く記憶に残るだろう。