一犯一語

あるマイミクの人が、林倭衛の<出獄の日のO氏>(大杉栄肖像画)の図像を日記に掲載していた。

ちょうど瀧口修造に関連して、1920年代中頃の日本のダダイズムについて、調べているところだったので、大杉の肖像が出たのを機会に、辻潤の年譜をあたってみた。(関東大震災の時に大杉と一緒に甘粕大尉に虐殺された伊藤野枝は、元々は辻と同棲していたのだ)

瀧口は、受験のため上京した1922年頃には、田端の叔父の家に寄宿し、芥川龍之介室生犀星が散歩している姿を眺めたりしている。浅草に足繁く通ったようだし、語学学校にも在籍している。この頃の辻は、知人の家を転々と移った後に川崎に住んでいたようである。

関東大震災の時は、瀧口はウィリアム・モリスの「ユートピア便り」を持って逃げるが、長髪のため、竹槍を持った自警団に追われるという経験をする。その後、三田で罹災者の世話をしたりしている。辻の方は川崎で震災に遭い、大杉・伊藤の虐殺の報を聞いて、直後に四国・九州方面へ旅に出ている(身の危険を感じたのかは定かではないが)。こうして見ると、辻と瀧口とは、特に接点はないようだ。どこかで遭遇していたら、面白かったのだが。

それにしても、辻も大杉も瀧口も、彼らの語学力には恐れ入る。大杉の「一犯一語」は有名だ(入獄の度に外国語を一語マスターすると豪語していたそうな)。辻も語学で口に糊していた時期もあるようだ(「唯一者とその所有」の訳はよく知られている)。もっとも辻の場合は、語学よりも尺八を携えて放浪するイメージが強いけれど。

瀧口はといえば、英文科の学部学生でブルトンやらアラゴンやらを訳していたのだし…。日本語すら覚束ない私としては、手も足も出ない感じ。こうなったら、大杉を見習って、犯罪(それも政治犯)を繰り返して、語学をマスターしましょうかね。