キバ・キバ・ウエノ

午後から東京まで出た。木場の都現代美術館「東京府美術館の時代1926−1970」「イサム・ノグチ展」の後、上野にまわって「北斎展」を見る。

東京府美術館の時代」は、かなり面白かった。1945年までは、洋画がいくら頑張ったところで、日本画にはかなわなかったのだという感を強くした。50年代60年代の読売アンパンの頃の作品は、常設展などでもおなじみだ。70年の「人間と物質」展は、すでに伝説となっているが、まだ生れていなかった(?)我々の世代には、大辻清司、原榮三郎の二人の写真家の写真を通してその模様を見ることができ、大変ありがたい。同じ対象でも、この二人の写真がどう撮影しているか、比較して見ることもできる。

イサム・ノグチ展」は、時間がないので、駆け足になってしまった。ブランクーシのアシスタントだった初期の頃から、地形全体を作品と化す最晩年まで、この作家の考え方・作風を辿れたのがありがたい。

北斎展」は、概して言うと、肉筆よりも刷り物の方が面白かった。もちろん鯉や亀や鶏や蛇などの肉筆は素晴らしいが、いわゆる「宗理美人」といわれるような美人画や人物画などは、上手いけれどあまり面白くない。テクニックで注文をこなしている感じ。それが刷り物では、制約条件の下で、画題、構図、遠近法などに工夫の限りを尽くし、それを画家本人も面白がっているのがわかる。
それに「北斎漫画」の素晴らしいこと。(「釣りの名人」などは、見ていて思わず吹き出してしまった。だが、会場には他に笑っている人がいなかったのも、不思議なものだ。同行の方とも「どうして皆さん笑わないのでしょうね」と言い合う。)
この人はやはり、刷り物の人ではなかろうか。

もっとも、最晩年の「画狂老人卍」と号していた頃の肉筆は別物だ。それまでの様々な肉筆画が、すべてこの時期のための習作であったかと思わせるほど、様々な要素が融合して完成度が高い。晩年になればなるほどキッチリ書き込むなどは、やはり尋常の画家ではない。
なかなか充実した一日だった。