「夢の漂流物」展3

(2005年2月11日記)
瀧口修造 夢の漂流物」展を再訪した。瀧口修造コミュにも書いたが、今回の展示では、作品に付されたラベルに関して白とグレーの2種類使い分けており、これによって瀧口旧蔵のものとそうでないものを区別できるようになっている。この点は、先週観たときには気がつかなかった。

それにしても、展示品の配列は、難しかっただろう。アンパン、実験工房、タケミヤ画廊など、大まかなグループ分けはしてあるが、それぞれに平面・立体のいずれも含まれている。また、複数のグループにまたがって活動している作家もいれば、そうしたグループに属さない作家や早くから海外に出て行った作家もいる。

作家名の五十音順では機械的すぎるし、永年活動を続けている人も多いので、単純に作品を年代順に展示する訳にもいかないだろう。国内・海外作家に分けても、さらにその中での配列が問題となる。

それだけいろいろな捉え方ができ、位置付けや相互の関係も複雑で多種多様な作品群ということができるだろう。これはおそらく、瀧口の活動が多面的で、個々の作家とのかかわり方もさまざまである点に起因するのかもしれない。

だから逆に、こうした瀧口の姿を整理し、一定の瀧口像に基づいて展示を構成することも、考えられるのではなかろうか。私なりの瀧口像からすると、別の配列もありえるかもしれない。

各自の瀧口像に応じて、配列も自由に変更できる展示などがあれば、ピッタリかもしれないが、物理的に無理な話で、やはり展示には割り切りが伴う。だから逆に、観る方でも、さまざまな可能性のひとつの姿であると考え、これを起点に思考を展開させることが必要だろう。

そうそう、いままでご紹介していなかったと思うが、展示の最後にディスプレイが置いてあり、ここで動く瀧口さんの姿を見ることができる。

これは草月会に海藤日出男氏を訪ねた時の映像で、二人が応接に座って話している姿が映されている。音声が無いのが残念だが、亡くなる3〜4年前に撮影された貴重な記録と思う。