日曜美術館など

先日、芸大美術館に行き「30年展」を見て来たばかりなので、これを番組自らがどういう風に採り上げているのだろうと思い、昨日、チャンネルを合わせてみた。地下2階から地上3階へと、会場の順路をそのまま辿る構成で、あの展示の紹介としては、こんなものだろう。司馬遼太郎などの当時のゲストの場面は、会場のディスプレイで流されているものと、たぶん同じだ。

初代司会者の太田治子さんには、レギュラー出演当時には、こちらの天邪鬼かつ若気の至りで、あまり共感していなかったのだが、今回、最後におっしゃった言葉には感服した。その言葉とは「テレビはあくまでも入り口ですから、これに満足していたらダメ。やはり本物を見なくては」という趣旨。まったくそのとおりだと思う。

映像で複製を見慣れていると、本物を見たときにも、すでに映像で見た作品がそこにあるのを確認するだけということになりがちだ。今後、こういう形のテレビ番組とリンクした展覧会が増えていくのかもしれないが、情報量が増えて便利な反面、本物を見ることができるありがたさや感動が、薄れる危険性もあるということには、注意しておいた方がよいだろう。絵本の原画展などでは、印刷で見慣れた作品の本物は、こういうものだったのかと感動することが多いが、これはたぶん、初めから印刷の原画を見ることこそが、展示の目的だからだろう。本物を見て感動するかしないかは、やはり見る側の心構えによる割合が大きいのだと思われる。

そういえば、7〜8年前、東北地方に存る有名な詩人の記念館を訪れたときのことを思い出す。その付近のあちこちに、所縁の土地や作品の舞台となった場所があるようなので、駅前の案内所で観光コースを相談すると、「記念館は必見です」と断言するのだ。期待に胸を膨らませながら訪れたのだが、いざ入ってみると、展示品で本物といえるのは、その詩人の愛用していたチェロのみで、あとはパネルばかりなので失望した、というより、ほとんど幻滅に近い印象を抱いてしまったことがあった。まあこれは例外的なことだろう。

いずれにしろ、今週からはこの番組を見た人が会場に押しかけて、さらに混雑することが予想されるが、できるだけ本物を見ることに集中できるように会場を設営するべきで、会場内にディスプレイを設置するのは考え物だと思う。先日の「秦の始皇帝兵馬俑」展は、博物館の展示ということもあり、興味深く映像を見ることができたが、今回のような美術館の展示では、せっかく見に来たのに、会場内で番組のテーマ音楽やナレーションの音声が聞こえ、耳障りなものだ。やはりディスプレイは、会場の外に設置するべきだと思う。こういう形が標準的になるとすると、困ったことだ。