上野・竹橋・日比谷

9月30日、昼前に家を出て、まず上野の東京国立博物館の常設展示を観る。これで420円は安いものだが、10月から600円に値上げされると聞くと、やはり抵抗感がある。「中国書画精華」展のことは前に書いたから省略。本館の日本美術は、丁寧に見ていくと半日くらいはすぐに経ってしまう。気が付くとすでに3時を過ぎていたので切り上げ、館を後にする。

地下鉄で竹橋まで行き、近代美術館の「モダン・パラダイス」展を観る。大原美術館との共同企画で、同館の粒ぞろいの名品が来ているのだ。青木繁「男の顔」、中村彝「頭蓋骨を持てる自画像」、万鉄五郎「雲のある自画像」、関根正二「信仰の哀しみ」、古賀春江「深海」、ゴーギャン「かぐわしき大地」、キリコ「ヘクトールとアンドロマケーの別れ」、ポロック「カットアウト」、フォートリエ「人質」などなど。

                  

これらはみな、国内にある代表的な作品なので、他の企画展でも個別には観る機会もあるが、やはりコレクションからまとめて観るというのは、違うものだ。しかも、近代美術館が誇る作品と組み合わされているのだから、この企画展、充実していないわけはない。瀧口修造のデカルコマニーが3点来ていたのもうれしい。「モネvs.春草」などの、工夫された問題設定があるが、まあ、あまり気にせずに、それぞれお気に入りの作品を楽しめばよいと思う。

大原美術館に行ったのは、ずいぶん前のことなので、あまりよく覚えていないが、確か20世紀美術は最後の方の別の展示室にまとめられていたような記憶がある。今はどういう風に展示されているのだろう。倉敷の街並みはたいそう美しかったし、レンガ造りの宿も洒落ていた。いつかまた訪れてみたいものだ。

近代美術館も、訪れたら常設を見ないで帰る手はない。4階に上がり、順路に従って階を下る。2階の特集展示は「ばらばらになった身体」。特に河原温の「浴室」シリーズ28点は、こちらの平衡感覚がズタズタにされるほど凄かった。

ショップで少し息抜きをしていると、閉館時間の5時になったので、神保町に行くことにして、建物を出る。すると目の前に「丸の内シャトルバス」が停っている。ここで突然、頭の中の電球に灯が点り、思わず駆け込んで乗車した。予定を変更して、出光美術館の「風神雷神図屏風」展を再訪してみようと思いついたのだ。

第一生命前で降ろしてもらい、美術館前まで行って混み具合を窺うと、行列がなかったので、そのまま中に入ることにした。宗達の「風神雷神図屏風」の前はやはりかなりの人だったが、閉館の30分くらい前からは、一番前で観ることができるようになった。光琳の屏風は、宗達の元絵に比べ、左の雷神の位置が低いので、動きやドラマティックさの点に難があるようだが、抱一の場合は宗達とほぼ同じバランスに描かれているので、(細部の描き方は別として)むしろ宗達に近いとの印象を受ける。

研究によれば、どうやら抱一は宗達の元絵を知らなかったらしいのだが、そうだとすれば、この構図を復元したのは素晴らしい構想力だと思う。あれだけ余白を生かした絵を描けるのも、構図の組み立てを考え抜いた結果なのかもしれない。知人もネット上の日記に書いていたことだが、今回は抱一初期の燕子花図などや其一の秋草図屏風も印象に残った。再訪したことに大満足しながら帰宅。家の近くの駅で電車を降りると、南西の空に伝宗達の「月に秋草図屏風」に描かれたのをちょうど反転させたような、半月に少し満たない月がかかっていた。