二大街道浮世絵展

千葉市美術館まで行き「広重 二大街道浮世絵展」を見る。広重の「東海道五拾三次」全点と広重・渓斎英泉「木曾街道六拾九次」全点の展示である。初刷りの完品が揃って展示されるのは初めてだそうだ。「木曾街道」には、広重の最高傑作と見る向きもある「洗馬」が含まれている。特に、今回展示されている「木曾街道」は、新たに米国で発見された初刷りの揃いであるため、世界に数点しか確認されていない「中津川」の当初のバージョンである「雨の中津川」も含まれている。



さらに、広重の文章まで書かれた旅行絵日記としては唯一現存する、「甲州日記写生帳」も特別出品されている。これは米国の所蔵家の好意によるもので、今回は実に110年ぶりの里帰りにより実現することができた展示だそうだ。

             



海外の方が日本国内よりも日本美術に対する評価が高く、愛好家も多いようなのは、まことに残念だ。昨年の北斎展でも、「富嶽参拾六景」の美しい初刷りは、ほとんどが海外の所蔵品だった。今夏のプライス・コレクションの若冲などもそうだろう。このような素晴らしい作品の数々を脇に置いて、「洋画」にうつつを抜かしていたのは、今から振り返ると、奇妙なことのようにも思えるのだが、そういう自国の文化についての態度が、当時の国際情勢の下における現実なのだろう。

広重が描いた東海道と木曾街道は、実に「美しい」風景で、特に外人から見た「日本」のイメージは、第二次大戦までは、こういうものだったのかもしれない。登場人物も風景の中の一つの要素として、あっさり淡々と描かれている。逆にそれが見る人に「美しい国日本の、平和を愛する純朴な民衆の営み」として、郷愁に近い、微妙に哀愁を帯びた情緒を呼び起こすのではなかろうか。ゴッホの日本観など典型的な例だろうし、明治初期に来日した旅行家イザベラ・バードは米沢盆地をアルカディアに擬えていたはずだ。

こうしたユートピアを崩壊させたものこそ、富国強兵をスローガンにした明治政府の近代化政策に他ならないだろう。最近も「美しい国」というキャッチフレーズが声高に叫ばれているようだが、そんなお題目を唱える人は、こうした明治以降の日本の歩みや文化への態度について、少し反省してみる必要があるのではなかろうか。

このようなことを考えながら、誘ってくれた地元の友人とゆっくり会場を回り、お茶を飲みながらおしゃべりした。これも、片道2時間かかるため最初からハシゴの予定を組まなかった効用だろう。やはり一日に訪れる展覧会は一つに絞った方がよいようだ。