MAPLE VIEWERS

午後から外出。まず、東博の「仏像 ― 一木にこめられた祈り」展を観る。

車内広告ポスターの「白洲正子井上靖みうらじゅんなど、多くの文化人が愛した」などというキャッチ・コピーは鼻で笑っていたのだが、こういうのが受けるらしく(また、例によってNHK新日曜美術館で採り上げられた直後ということもあるだろうが)、予想よりはるかに混んでいた。会場に到着したときには、何と入り口前に行列ができており、入場まで10分待ちだった。

期待に違わず展示は素晴らしかった。全体で65点約150躯、これが、①檀像の世界、②一木の世紀、③鉈彫、④円空と木喰、の4章に構成されている。

①②の34躯は、国宝や重要文化財ばかりで、見応え十分だった。どれも像の背後に回り込んで観ることができるように展示されていたのは有り難かった。国宝の滋賀・向源寺「十一面観音菩薩立像」(左図)の尊さは、多くの人たちに語られているが、改めて自分で感じることができた。③の鉈彫の諸像は、弘明寺「十一面観音菩薩立像」(右図)をはじめ、いずれもエジプトのレリーフを思わせる静謐さで、なかなか感動的だった。

               

④の円空の諸像は、昨年か一昨年に、大規模な展示をすでに見ているので、さほどの目新しさはなかったが、一木からどういう風に伐り出されてあれらの像が作られたかが、今回の展示でよくわかった。「十一面観音菩薩立像」の背面に記された円空直筆の由来を見ることが出来たのも良かった。

木喰の諸像は(不勉強ながら)いずれも初めて観るものだ。菩薩も羅漢も閻魔大王も木喰自身も、穏やかながら不気味な、独特の微笑みを湛えている。変な連想だが、各像の頭部に光背が付けられ、希臘文字のような書き込みまであるのは、キリスト教の聖人像を想起させた。背後に回れず、視点が正面方向からに制限されていたためか、艶やかに磨かれた木肌がガラス・ケースの中に並ぶ様が、まるで民芸品のコケシのように見えた。このため全体の印象まで安っぽくなってしまったのは、惜しい。木喰はもう少し点数を絞り、照明をもっと暗くした方がよかったと思う。
この特別展に合わせて入り口脇に設営された企画展示「一木ができるまで」も、工夫されていた。



常設展示は、「仏像」展とは打って変わって人影もまばらだったが、いつもながら充実していた。中でも国宝コーナーの狩野秀頼筆「観楓図屏風」は、以前から見たかったものだ。高雄の紅葉狩りを楽しむ人々が描かれたこの屏風は、後に現れる多くの名所図、風俗図の源流のような作品といってもよいだろう。

写楽の第一期=雲母摺り大首絵28点のうち20点の展示を観ることができたのも、思わぬ収穫だった(個々の作品の状態はイマイチだったが・・・)。絵師の書簡を軸装したものも展示されており、探幽の自在さと抱一の端正さの対比が、面白かった。こういう展示を観ないで帰るなんて、もったいないことだ。


地下のミュージアムショップでしばらく立ち読みをした後、科学博物館にまわり、「南方熊楠 森羅万象の探求者」展を観る。熊楠自らの日記や標本、顕微鏡や標本採集具などの実物が泣かせる。英国の《NATURE》誌をはじめ、さまざまな関連文献の展示も説得力があった。「南方マンダラ」の概念が現れ、固まっていった過程が、日記・書簡の原典(新発見のものも含む)で辿れるように展示されていたコーナーが、この展覧会の白眉といえるだろう。


充実した展示を続けて3つも観たので、科学博物館を出たときにはクタクタになっていたが、むしろ心地のよい疲労感だった。