ルソーの見た夢

昼前に外出。世田谷美術館の「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展を見る。平日だというのにかなり混んでおり、受付前には15〜20人ほどの列ができていた。会場内の人も相当多かった。

まずルソー本人の作品が20点ほど展示され、続いてフランスの素朴派の絵画がやはり20点ほど、続いて、日本で影響を受けた画家の作品が、洋画、日本画、写真、合わせて30〜40点続き、最後に「現代のルソー像」として、ルソーの作品を直接的なモチーフにしている日本の作家の平面・コラージュ・インスタレーションが展示されている。

ルソー本人の作品は、どれも構図や遠近感が微妙にズレているのだが、しばしば「詩情豊かな」と形容されるとおり、それが逆に独特の味わい・叙情性となっている。初めて見る作品も多く、なかなか充実していた。

             


素朴派の作品は、世田谷美術館蔵のは見たことがあると思うが、それ以外の5〜6点は、初めて見るものだ。だが「初めて」という感じがしないのは、どうしてなのだろう。

日本への影響については、思っていたよりはるかに大きかったようだ。藤田嗣治岡鹿之助、松本俊介、川上澄生などは想像できるが、小出楢重三岸好太郎、長谷川三郎などもルソーが好きだったのだ。日本画では土田麦僊、吉岡堅二、稗田一穂、加山又造、写真では植田正治など。

所蔵品にポリシーがあって、ある程度まとまっていると、こういう充実した企画展を開催することができるのだろう。ベースとして重要なのは何といっても常設だということが、今日の展示を観てよくわかった。別の公立美術館で先日見た、あるコレクターのコレクション展などは、この展示とは正反対かもしれない。あちらは常設を持っていないのだが(それで「美術館」といえるか、私には疑問なのだが)、公立施設として展示スケジュールに穴を開けるわけにはいかないので、つい画商側から持ち込まれた企画に乗ることになり、その結果、税金で制作したカタログなのに、画商の宣伝に使われるということになってしまったのではなかろうか。学芸員さんには本当にいい人が多いので、こうしたカラクリがあるなどとは考えも及ばず、美術をビジネス(つまりは喰いもの)にしている商人の餌食になってしまったということにも、気が付いておられないのだろう。

余談はさておき、ルソーの人生は、傍から見ると、決して恵まれたものではなかったようだ。税関吏だった彼は、40歳過ぎてから油絵を始め、絵に専念するために退職。以後、66歳で亡くなるまで筆を折らなかったが、サロンでは落選を続け、無審査のアンデパンダン展に出品しても、世間や批評家の嘲笑を浴びるばかり。絵が売れないため、画材屋への借金に苦しみ、ある詐欺事件に連座して有罪になったりもする。女性関係などにしても、40代のときに夫人に先立たれ、その後も、決して恵まれなかったようだ。それでも油絵を捨てず、しかも自分の画風を一貫して持ち続けたということには、やはり心を打たれる。

最晩年にはピカソアポリネール、ドローネーなどの心ある理解者が現れたということに、若干救われる思いがするが、果たしてルソー本人は幸福だと感じていたのだろうか・・・。貧困の中で亡くなったので、当初は墓も無く、共同墓地に埋葬されただけだった。それで、後になって理解者たちがお金を出し合い、墓を造ったのだそうだ。アポリネールによる墓碑銘(瀧口修造訳)は次のとおり。


やさしいルソーよ、聴こえますか
ドローネーと奥さん、クヴァルさんとぼく
みんながあいさつします
ぼくたちの荷物を無税で天国へ通してくれたまえ
筆と絵具とカンバスを運んであげるから
ぼくの肖像画を描いたように
ほんとうの光のなかの聖なる暇々に
星たちの顔を描いてくれたまえ