雪舟への旅(第3日)

28日(火)、朝8時過ぎに旅館を出て昨日のベーカリーで朝食。そのまま興福寺に回り、9時の開門を待って東金堂と国宝館を見る。東金堂では薬師三尊像、四天王立像、維摩居士像、文殊菩薩像などを拝見する。国宝館では山田寺の仏頭、八部衆像、十大弟子像などのほか、十二部衆の浮き彫りも特別に展示されていた。仏頭は昨年東博に展示されたばかりだ。国宝の阿修羅像はあまりにも有名だが、他の八部衆と並べて展示されると、その一つであることが改めて分る。確かに抜きん出ているが、お顔立ちだけなら似ている像もあるようだ。


続いて国立博物館に行き常設を観る。ここはガンダーラから鎌倉仏まで、系統的に展示されている上、仏像を見る上での基本的な事項が解説されたパネルも地下の通路に掲示されている。一番先に観たほうがよかったかもしれない。

そのまま県立博物館に行き、「応挙と芦雪」展を観る。雪舟を観た後に応挙を見ると、自然な感じがして面白く感じられない。まるで東山魁夷や現代の日本画を見るようだ。現代日本画の祖と位置付ける向きもあるように、応挙の絵、特に空間の表現は、現代に通じるのだろう。逆に当時としては、さぞ斬新だったに違いない。

芦雪はテクニックが抜群だ。応挙がやっていないことをやろうといかに苦心したかがよくわかる。芦雪を単に奇想の画家で済ませられるものではなかろう。それだけ応挙の存在が大きかったということでもあるが、この偉大な師に対しては、おそらくドロドロした感情もあったのではなかろうか。

旅館に戻って荷物を受け取り、近鉄で京都に出る。特急券に500円も取られた。その直後の急行にすればよかったが、関西の私鉄に詳しくないので、仕方がない。



京都駅から20分ほど歩いて、智積院に行く。国宝館に納められている長谷川等伯・久蔵親子の襖絵「桜図」「楓図」などを見る。独り占めできたのは有り難かった。豊臣氏の没落に応じて、この襖絵も災厄に遭い、当初の大きさから随分小さくカットされてしまったらしい。惜しいことだ。お庭も拝見できた。

    


その足で三十三間堂に行き、千手観音像などを見る。その数にただただ圧倒される。二十八部衆のなかの婆薮仙人像は、やはり存在感がある。確か村野四郎が絶賛していたはずだ。

その後、国立博物館で常設展示を観る。考古から近世絵画・工芸まで。特集展示「高僧の書蹟」展はなかなか充実していた。空海の「灌頂歴名」(下図左)、親鸞の「教行信証」、さらには明恵上人の「夢記」(下図右)などが展示されていた。

狩野山楽「山水図屏風」、山雪「洛外図屏風」なども初めて見るものだが、やや遅れてきた水墨画というのか、すでに時代は豪華な障壁画に移りつつある時期の仇花とでもいうような印象。5時になったので、美術館を後にし、三条のホテルにチェックイン。この時期に奇跡的に空いていた一部屋だ。

6時に付近の和食レストランで、友人のマン・レイ・イスト石原輝雄氏、古本画家林哲夫氏と夕食。石原氏からは最近韓国で開催されたマン・レイ展の図録を戴く。林氏からは近編著「神戸の古本力」と、「美術批評」誌のバックナンバーを頂戴した。後者には瀧口修造が出席した座談会記録が掲載されている。お二人の着実なお仕事ぶりには、いつも頭が下がる。その後、石原氏には近くの喫茶店までお付き合いいただいた。楽しく心温まる一晩だった。