雪舟への旅(第4日=最終日)

29日(水)、朝9時過ぎにホテルを出る。三条近くのでモーニング。全国的なチェーン店は基本的に避けているのだが、380円はやはり魅力的だ。店内も清潔で、感じの良い店だった。今日は最終日なので、「雪舟への旅」の締めくくりとしてまず相国寺に行くことにする。京都五山の一つで、雪舟が最初に周文から水墨画を習ったとされる寺だ。若冲との所縁も深く、「動植綵絵」は元来こちらにあったものだ。

寺宝の保管・展示のための承天閣美術館の展示室が、開基足利義満公600年御忌記念としてちょうど増築され、「伝来の茶道具」展が開催されていた。蘭渓道隆筆の軸「宋元」や宋の青磁白磁などを観る。来年には「釈迦三尊図」と「動植綵絵」とを、当初のとおり組み合わせて展示する展覧会が開催されるそうで、これは楽しみだ。

ロビーで一休みしながら「この後どこに行こうか」と思案していると、建仁寺高台寺の「大桃山展」のポスターが目に入った。何と海北友松の軸や等伯の襖絵が展示されているらしい。見逃す手はない。地下鉄で四条まで戻り、八坂神社の方へ20分ほど歩く。途中でお土産の黒七味も買うことができた。店の角を右折して祇園通りに入る。まわりは観光客ばかりだったが、街並みは美しい。5分ほどで建仁寺の前に出た。

国宝の宗達風神雷神図」こそ複製だったが、友松の軸「雲龍図」「琴棋書画図」「花鳥図」や狩野山楽「籬に菊図」屏風、狩野派の風俗図「犬追物図」屏風などが展示されていた。どれも素晴らしいもので、来た甲斐があった。法堂の天井に描かれた小泉淳作画伯の「双龍図」も、天井画とはこういうものかが分り、なかなかのものだった。


建仁寺から10分ほど歩いて高台寺に到着。ここは秀吉の正室である北政所が、秀吉没後(関が原の戦後)その菩提を弔うために開創した寺だ(下図左)。北政所の没後は霊屋に葬られている。その霊屋の漆塗りの内陣(下図右)は有名で、期待していたのだが、ちょうど陽光が射し込む角度になってしまい、残念ながらよく見えなかった。

 

千利休が建てたという茶室傘亭・時雨亭を拝見した後、一旦外に出て、高台寺の掌美術館に回る。高台寺蒔絵といわれる蒔絵の食器類や秀吉直筆の書状などが展示されていた。

続いて円徳院に回る。ここは北政所が住んでいた塔頭で、家康の許しを得て伏見城の化粧御殿を移築して創建したのだそうだ。その後焼失したらしく、今の建物は後世のものだ。部屋には等伯の襖絵「春の図」が、また廊下側には同じく「冬の図」(下図左)が展示されていた。これは、大作を描く機会に恵まれなかった等伯が、三玄院の往職が外出した隙に、頼まれもしないのに一気に描いて、絵師としての確固たる地位を築く端緒となったという言い伝えで有名な襖絵(の一部)だ。明治の混乱期にこちらの所蔵となったそうだが、まったくここでお目にかかろうとは思わなかった。筆遣いがとても繊細だった。 

 

円徳院の北庭は伏見城の前庭が移されたもので、ほぼそのままの形で今日に伝わるらしい。賢庭作で小堀遠州が手を入れたという伏見城の前庭は、諸国の大名たちから寄進された名石を用いて造られたそうだが、確かに大きな石と木立の組み合わせが豪華だ(上図右)。

大満足で高台寺円徳院を後にし、二寧坂・三寧坂を上がる。もう2時をまわっているので、どこかで昼食を、と思っていると、途中にイノダコーヒー店があった。ちょうど待つ客も居なかったので、ここのサンドイッチ・セットで昼食にする。この後、細見美術館に行くことにして、清水寺の前まで上がり、そこから五条まで降り、京阪電車で三条まで戻る。


ホテルの前を通って、左に曲がり、近代美術館の角まで出る。ギャラリー16を覗くと、今個展を開催している作家さんとオーナーの井上さんが、お客さんと応接中だった。そのまま直進して細見美術館に行く。ちょうど江戸琳派の企画展を開催していた。何でも江戸琳派に絞った展示は25年ぶりだそうで、少し意外な気がした。

抱一から始まり、其一さらに守一らへと、3フロアに亘る展示は、小ぶりな作品が中心だが、なかなか好ましかった。このような気楽で安心して観ることができる展示は、旅の最後にぴったりだ。


ギャラリー16に戻ると、お客さんが帰られた後で、作家さんが1人で居た。少し絵の解説をしてもらう。坂上さんがお茶を淹れてくれたので、作家さん・坂上さんと雪舟展のことなどを話す。オーナーの井上さんが戻られたのでご挨拶する。話し込んでいるうち、時間がギリギリになってしまった。最後に寄るつもりだった山崎書店さんには顔も出せず、ホテルに預けていた荷物を受け取って、そのまま地下鉄に駆け込む。京都駅からリムジンバスで伊丹空港に向かい、20時20分発の羽田行き最終便で帰った。