ギメ東洋美術館浮世絵名品展

1月24日(水)。曇り。原宿の太田記念美術館で開催されている「ギメ東洋美術館浮世絵名品展」に行く。開館20分前の10時10分に到着したときには、すでに30人ほどが列を作っていた。年末あたりからNHKがしきりに宣伝し(例によって関連会社が企画に一枚噛んでおり、お金が落ちる仕組みなのだろう)、先日の「日曜美術館」でも採り上げた効果はてきめんに現れているようだ。直後に某新聞社の幟旗を掲げた30名ほどの団体が到着したので、開館の時には100人くらいは並んだだろうか。いつもは入り口でスリッパに履き替えるのだが、さすがに今回は靴のまま中に入るように案内される。
目玉の北斎「龍図」「雨中の虎図」双幅は畳の座敷のコーナーに展示されていたが、これは評判どおり素晴らしかった。大変な人だかりで座って拝見するわけにはいかないのがやや残念だったが・・・。同じコーナーに展示されていた広重の水墨画風風景画(題は失念)も好かった。
写楽歌麿が展示されている2階に上がるためにも、列を作って5分ほど待たなければならなかった。清長、春信、歌麿と見ていくと、歌麿美人画がいかに傑出しているかがよくわかる。写楽の大首絵は昨年秋に東博で30点ほどまとまって展示されていた時の印象が鮮明なので、今回はさほど感銘を受けなかったが、それでも状態はこちらの方がよいと思う。写楽の版下絵(画稿?)が展示されていたのには驚いた。世界でこの一点だけのものだそうだ。
写楽が誰だったのかに関しては諸説あり、近年は阿波の国の能役者斉藤某という説が有力となりつつあるそうだ。これは八丁堀に確かに阿波の国の浪人斉藤某が住んでおり、墓まで確認されたためらしいが、その斉藤某が写楽だったということに関しては、説得力があまりないように思う。能役者には絵を習得する暇などないだろうし、その能役者がわざわざ歌舞伎の絵を描く理由がどこにあるのだろう?理解に苦しむ。

逆に写楽の絵を歌麿と並べて観ると、やはり(少なくとも第一期の大首絵は)歌麿が描いたという説の方が説得的と思う。美人画が得意だった歌麿に、名プロデューサー蔦屋重三郎が役者絵を描かせてみたというのが真相ではなかろうか。歌麿としては美人の本質を、また写楽としては歌舞伎役者の本質を、とんでもない筆力で抉り出し、定着したものだろう。

1時間ほど経って表にでると、行列はさらに長くなっており、入り口には「ただいま120分待ちです」という表示が出ていた。この後、上野に回った。(続く)