WHITE LIGHT/BLACK RAIN(ネタバレあり)

9月某日、厳しい残暑のなか、先日見落とした足利義満600年御忌記念「京都五山 禅の文化」展に行く。入場者が10万人を超えたそうで、結構なことだ。展示は「1.兼密禅から純粋禅へ、2.夢窓派の台頭、3.将軍家と五山僧、4.五山の学芸、5.五山の仏画・仏像」の順。高僧の頂相や肖像彫刻が多い。特に妙智院蔵「夢窓疎石像」を観るのは初めてだ。如拙、周文、可翁、明兆等の水墨画・詩画軸などが中心の「4」と「5」がよかった。画賛が読めれば一層面白かったろうが、「達筆だ」くらいのことしか判らない。もどかしい限りだ。
最後のセクション「5」に展示された仏像にあまり観るべきものがないためか(ただし、端正な「弥勒菩薩(宝冠釈迦如来)坐像」には感動したが)、展示全体を通じて今一つ充実感がない。といっても、知り合いの一人の「京都では開催できないだろう」との評は、少し酷いかもしれない。美術展ではなく博物館の展示なのだから、これはこれであり得るだろう。
東博に来たら、本館の常設展示を観ないで帰る手はない。一階の特集展示「仏像の道―インドから日本へ」からして、仏像の流れがコンパクトにわかる好企画だし、二階の特集「キリシタン―信仰とその証」も極めて密度の高い展示だった。シドッチ招来の聖母像「親指のマリア」は、思わずJ.コーネルのコラージュ「アンドレ・ブルトン像」を連想した。小さな「踏み絵」も、「これが何人もの信者の命を奪ったものか」という感慨を覚えた。実物だけが持つ重み・説得力だろう。
国宝室では「和歌体十種」が展示されていた。壬生忠岑に仮託される歌論だが、どうやら偽書説もあるらしい。禅宗美術では伝雪舟「四季花鳥図屏風」が展示され、思わず「五山」展の伝周文「四季山水図屏風」と比較してしまった。屏風絵では深江芦舟「蔦の細道図屏風」と土佐光起「粟穂鶉図屏風」が、また江戸期の書画では酒井抱一「秋草図屏風」が展示されており、いかにも時節に合った展示だ。
上野駅で昼食にした後、これも先日見損ねた映画を観に、神保町の岩波ホールまで行く。チケット売り場に到着した時には、すでに14時をまわり、「ちょうど10分前に始まりました」とのことなので、次の回を観ることにする。T書店まで引き返し、店頭に特価本としてまとまって出ていた学術系の文庫から5冊ほどセレクト(計1,100円は安い!)。
昼食から戻ってきた店主としばらく立ち話。今日の話題は主に食べ物について。「そんな食事をしてたら大腸癌になるぞ」と言われてしまった。その後、近くの新刊書店で月曜発売の経済誌を2冊購入し、喫茶店に入ってパラパラめくる。16時過ぎにホールに戻ると、3分の1くらいの入りで、このくらいがちょうど良い。
映画「WHITE LIGHT/BLACK RAIN」(邦題「ヒロシマナガサキ」)は、広島・長崎の被爆者や当時の米軍側関係者のインタビューをまとめたドキュメンタリーで、原爆とはどういうものか、原爆が投下されてどういうことが起きたかを、むしろ淡々とした姿勢で描いている。
気になったのは、冷静・科学的に当時を回想していた米軍関係者が、「投下したことを悪夢に見ないか」と聞かれて思わず語気を強め、「ノー! そんなことがあるものか。投下したからこそ、あの戦争をより早く終結させ、犠牲者の最小限度にとどめることができたのだ」と、異口同音に答える場面だ。非戦闘員の殺戮がれっきとしたハーグ条約違反に当たることなど、先刻ご承知だろうに。これが今のイラク戦争に至るまでの、米国という国の基本姿勢なのだ。
もっとも、我が(と言わなければいけないのが辛いところだが)大日本帝国だって、原子爆弾や各種のガス・細菌兵器の開発実用化に血道をあげていたわけだし、当時は被爆者を見捨て、戦後の支援救済策だっていまだに十分ではないことも、忘れてはいけないだろう。
映画は被爆者である女性の「こんな苦しみは私たちで最後にしてもいらいたい」という言葉で結ばれる。どうしたらそうなるかは、観者であるわれわれに委ねられている訳だが、それを冷静に考えるためにも、この映画はよい出発点となるだろう。つい先日も「中教審が武道を必修にする方針」との報道があったばかりだが、この映画も必修にしてはいかがだろう。委員各位に是非お勧めしたいものだ。