APN & BIOMBO

9月某日、富士ゼロックスのアートスペースで開催されている「実験工房とAPN」展を観に、六本木の東京ミッドタウンまで出かける。この日は同展の関連企画として研究者O氏のレクチャーがあったのだ。
「APN(アプン)とはASAHI PICTURE NEWS(アサヒ・ピクチャー・ニュース)の略で、1929年から2000年まで刊行されたグラフ雑誌『アサヒグラフ』の1953年の年頭から翌年2月初めまで連載された、全55回の見開きコラム・ページのタイトルです。」(以上、解説パンフレットからの引用)
近年注目されているのは特にその見開きページのタイトルの写真カットで、「APN」の文字がどこかに含まれるようにさまざまなオブジェを構成し、それを写真に撮影して、右ページの右上部に掲載したものである。オブジェの制作を(長谷川三郎、斉藤義重、勅使河原蒼風の他)主に北代省三山口勝弘、浜田浜雄、駒井哲郎が、また写真撮影を大辻清司が担当した(作家自らが撮影した場合もある)。当時はまだ20代前半〜中頃だった「実験工房」を中心とする新進気鋭の作家たちの、共同作業の代表例とされつつある。
O氏のレクチャーは、主に斉藤義重・北代省三山口勝弘と大辻清司を取り上げ、4人の仕事の上での位置づけや相互間の比較はもとより、当時の時代背景までカバーした、実に目配りの利いた説得力のあるものだった。レクチャーの後、ご挨拶すると、「受講申込者の名簿でお名前を拝見して、たぶんそうだと思っていました」由。ありがたいことだ。
その後、会場に居合わせた知り合いと4人で近所のベーグル屋さんに行き、軽く夕食。瀧口修造のことや美術アーカイブのことなどを話しているうち、9時を過ぎてしまった。楽しい夜だった。
レクチャーの前、少し時間があったので、同じフロアのサントリー美術館で移転開館記念特別展「BIOMBO」展を観る。「BIOMBOとは、『ビオンボ』と発音し、ポルトガル語スペイン語で『屏風』を意味します。日本の屏風が近世初期の南蛮貿易で輸出の品として盛んに海を渡り、西欧にもたらされたことを示している言葉です」(以上、チラシからの引用)
金剛寺の「日月山水図屏風」の展示期間がすでに終わっていたのは残念だったが、同館の「祇園祭礼図屏風」のコーナーは圧巻だった。この屏風は、元はケルン美術館の「祇園祭礼図屏風」、メトロポリタン美術館の「社頭図屏風」、クリーブランド美術館の「加茂競馬図屏風」と一続きの襖絵(大広間の)だったことが判明し、これらが当時のように連続する形で並べて展示されているのだ。
この他、最初のコーナーに展示されている平安時代の稀な遺品である金剛寺の「山水図屏風」にも、感銘を受けた。密教の「灌頂」の儀式の際に設置された屏風だそうで、保存状態があまりよくないのも、却って年代を感じさせた。
この美術館は、移転前から好きな館のひとつだったが、新しくなってたびたび足を運ぶことになるだろう。
ただオフィス・商業ビルの中にあるためか、天井が低く、入館者の話し声が耳障りな音量で響くのが惜しまれるところだ。今回の展示の観客はどちらかというと熟年世代が中心のようだったが、傍若無人に会話する人がやたらに多く、ベンチに座ってやり過ごしても、後から後からそういう人が入ってくるのには閉口した。美術に親しむのは大いに結構だが、他の観客の迷惑になることはなるべく慎む(姿勢を見せる)のが、基本的な(大人の)マナーだろう。