葉山・鎌倉

11月某日、神奈川県立近代美術館で開催されている「日本画変革の先導者 玉村方久斗展」の関連イベント、子息であるエッセイスト玉村豊男氏の記念講演を聴講する。
講演の前に、まず葉山館で開催されている、イリヤ・カバコフ「世界図鑑 絵本と原画」を見る。ソビエト時代に生活のために描いていた絵本とその原画を展示するもので、子供向けの絵本とはいえ(むしろ、子供向けだからこそ)当時はソビエト政権に反する内容にならないよう、検閲や自己規制が働いていたそうだ。だから、会場入り口には、わざわざ作家自身による「これらの作品を描いたのは私ではなく彼らです」との内容のメッセージまで掲示されていた。
だが、展示されている下絵や原画・絵本を見ると、これらの絵本や原画は、単に生活のために注文を消化したものとは、とても思えない。やはりカバコフ自身の姿・存在をかなり明確かつ強烈に感じた。不本意な仕事でも力を注いで仕上げてしまうのは、作家の業のようなものだろうし、「作者」というものが登場してしまった後の作家(ことに造形の分野の作家)は、後になって何と言おうとも、残された作品の「作者」であることからは逃れられないだろう。「私ではなく彼らです」と付け加える姿勢には、若干の疑問を感じた。
玉村豊男氏の講演は、親族ならではのエピソードを中心としていたが、ご本人も絵を描いているそうで、お父上の画業についても随所に鋭い見方を披露されていた。ユーモアを交えた語り口で、楽しんで聴いているうち、あっという間に50分ほどが経った。質問にも応じられ、「お父様の絵でどれが一番好きですか?」と訊かれて「葡萄の絵なんか好きですねえ」と答えられたのには、笑ってしまった。

講演後、鎌倉館にまわり、「玉村方久斗展」も観る。描き方も画題もまさに「日本画変革の先導者」というキャッチフレーズがふさわしい。初期の軸物は、一見して洋画家の万鉄五郎の晩年の日本画を思い起こした。豊男氏も指摘しておられたが、最初期から生涯を通じて使われている独特の緑色が眼を引く。大作「雨月物語絵巻」では、場面ごとに色調を変化させた赤色が印象的。総じてうねるように描かれる線が独特で、対象をいかに美しくなく描くかということに腐心していたようにも見える。三科に属していた頃の立体の写真も拡大されて掲示されていたが、まるで柳瀬正夢村山知義だ。
終戦前後の時期の家族を描いた絵(額装されるものも多数ある)は、家庭的に恵まれなかったこの画家が手に入れた平和な日々が窺えて、微笑ましい。ただ58歳で亡くなったというのだから、この平和も束の間だったのかもしれない。これだけの数の作品を集めて展示したのは初めてだそうで、まだまだ知られていない作品もあるだろう。
会場内の解説パネルで触れられている作品が見当たらないので、案内スタッフに訊くと「展示替えがあります」とのこと。そんな告知はなかったはずなので、驚くと「入り口でお配りしている作品リストに書いてあります」という。作品リストは、あれば必ず手にして会場に入るようにしているので、不思議に思い、入り口に引き返してスタッフに尋ねると、「申し訳ありませんが、リストは切らしております」とのこと。この美術館にしては珍しい不手際だろう。
これは、第三展示室の耐震性に問題があることが判明し、急遽、同室が閉鎖となったことが関係しているのかもしれないが、リストを品切れにしたり、予告もなしに展示替えをしたりするのは、やはり如何かと思う。改善を望みたい。(赤坂の某美術館では、開館時間中に記録ビデオの撮影をしていたこともあったし、初台の某美術館では案内スタッフが文庫本を読んでおり、順路を聞いたらと嫌そうな顔をされたなどということも経験しているので、それに比べればこの程度はまだましな方だが)