小春日和

11月某日、医者から「右眼が完全に治るまで外出しないように」と言われていたのだが、小春日和に誘われて、外出。まず浜松町の横田茂ギャラリーで岡崎和郎展を観る。ブロンズの小品3点と、ガラスにシルクスクリーンで印字された小品1点。いつもながら、ブロンズの肌が艶やかに磨き上げられている。来週の最終日には岡崎さんご自身が来廊されるらしいので、再訪したい。
JRで上野まで行き、駅構内に見つけておいた定食屋さんで昼食にした後、芸大美術館の「岡倉天心」展を観る。芸大開設時の資料や初期の教官の作品を紹介する、はじめの2室はなかなか見応えがあった。特に冒頭に展示されている有名な下村観山「天心岡倉先生像」は素晴らしかった。完成作は大震災で焼失したため、この図は(つまりいつも紹介されている図も)草稿なのだそうだが、とてもそんな風には見えない。第2室に展示された芳崖「悲母観音」は、いつ見ても心を打たれる。第1・2室の印象が強かったためか、当時の学生のデッサンや実技の模様などを紹介する第3・4室は、若干物足りなかった。また、天心が芸大を追われ日本美術院を創設した後の活動にはあまり触れられていなかったのは、展示の趣旨からして仕方ないところかもしれないが、やはり肩透かしをくったような気がした。
続いて両国に回り、江戸東京博物館夏目漱石展を観る。この博物館、建物の中に入るときにはいつも、「あんなにアンバランスな構造で大丈夫か?柱は上部の重みに耐えられるのか?」と心配になる。見ている最中に地震が来ないよう祈りつつ中に入ると、大変な混みようだった。さすがは漱石だ。肉筆原稿、初版本などは当然として、在英中に購入した洋書も出品されていたのは、なかなか興味深かった。童話の本などもあり、表紙がかわいくて思わず微笑んでしまった。講義用に作成したものだろうか、哲学・美学書などの要約のノートや、在英中の日記、メモの類は、襟を正す気持ちになった。正岡子規や弟子たちとの間で交わされた書簡なども展示されており、交流の模様がよくわかった。(「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田寅彦の言葉である旨、パネルで解説されていたが、この建物の中でこの言葉は読みたくないと思った。)
博物館を出るとすでに4時半に近く(旧安田庭園では管理人さんが閉園を告げる鐘を振っていた)、かれこれ5時間以上も歩きまわっていたことになる。この後、茅場町の画廊に寄り、神保町の古書店を覗いてから、九段下の某所で開催される研究会に顔を出す予定だったので、重い足を引きずって蔵前橋を渡り、都営浅草線蔵前駅まで行く。階段をホームに向かって下りていると、ちょうど三崎口行きの快速特急が入って来たので、あわてて飛び乗った。ラッシュアワーにはまだ少し時間があり、車内はガラガラだった。気持ちのよい二人掛けの座席を一人で占領すると、一気に疲れが出てきて、日本橋駅で降りる気力を無くしてしまった。茅場町、神保町、九段下の研究会はパスすることにして、そのまま自宅近くの駅まで戻る。駅を降りてから、研究会の幹事さんに電話して、欠席を詫びた。