平塚・茅ヶ崎・葉山・横須賀(1)

2月26日(火)、午後から神奈川近代文学館(カナブン)へ。まず村井玄斎展を観てから、資料室で日曜日の発表に使う資料を閲覧し、必要部分をコピーする。その後、神保町に行くことにしていたので、閲覧室を出て、ぶらぶら歩き始める。大仏次郎記念館の手前まで行くと、中から知り合いによく似た後姿の女性が出てきた。「もしや」と思い、早足で歩いて追いつき、覗き込むと、やはりご本人だった。お互い驚いて挨拶をし、そのまま元町まで一緒に坂を下りた。スタバでコーヒーを買い、東横線の中でコーヒーを飲みながら、主に古本と古本業界のことを話す。神保町にお誘いしてみたが、学芸大学前の古書店と、下北沢に新しく出来た古書店を訪れる予定とのことで、残念ながら途中でお別れした。
神保町のT書店に行き、貴重な肉筆類のセットを見せてもらった。ある雑誌の終刊号への寄稿者の肉筆原稿一式。その中のある原稿は、喉から手がでるほど入手したいものなのだが、揃いで売る予定だそうで、見送らざるを得ない。
3月1日(土)、師匠筋の方からお誘いいただいたので、横浜美術館に出かけて「GOTH」展を見た。学芸員木村さんの講演も聴講した。前半のリッキー・スワローとDr.ラクロは、かなり細部にこだわった作品だが、シュビッタース、コーネル、シュヴァンクマイエル荒川修作などには及ばないように思えてしまった。後半の束芋からはじまる現代美術のセクションは、いろいろ考えさせられた。特に、長い間性同一性障害に悩んできた作家「ピューぴる」さんのセルフ・ポートレートは、ジャン・ブノワによる「サド侯爵の遺言執行式」も想起させる高貴さで、感動的だった(並べてみれば森村泰昌の一連の仕事など浅薄に見えるだろう)。ただ、ここまで衝撃的な作品を作ってしまうと、当然ながらこの後の展開には厳しさも予想される。その点が気がかりだ。
3月2日(日)、早稲田の某所で開催された雑誌「詩と詩論」の読書会に出席。二人の報告者のうちの一人となっており、先月から下調べを続けていたのだが、選んだ論文はやたらと固有名詞が多く、結局調べ切れなかった。ただ、発表自体は他のメンバーの皆さんから概して好意的な感想を頂いたようなので、ほっとしている。発表後、高田馬場駅近くの飲み屋で11時過ぎまで歓談、帰宅した時はすでに日付が変わっていた。中には、この会のために地方から出てこられた方も何人かいらっしゃるので、横浜あたりでは遠方のうちには入らないだろう。
3月4日(火)、朝、10時に平塚に行き、市美術館の「河野通勢」展を観る。自画像を見たことはあるのだが、あまり他の作品が思い浮かばない。同時代の画家からはまず「何でも描ける画家」という評価(もちろん畏敬の念が込められた)が与えられていたようで、実際に作品を見ると、初期の油彩の風景画から宗教画、自画像・人物画、最晩年の南画、装丁・装丁まで、実に幅広いジャンルで多彩な仕事をした画家だったことがわかった。もちろん初期の風景画やデッサンは素晴らしいが(特にデッサンにはいろいろな言葉が書き込まれており、興味深い)、高橋由一と松本俊介を併せ想わせる「横浜風景」とウィリアム・ブレイクシャガールを想わせる数々の宗教画も、印象に残る。
挿絵や装丁で生計を立てながら絵を描き続けたことは、もちろん尊敬に値するのだが、例えば家業の写真館を継いで、生活に困らない形で画業を続けていたら、どうなっていただろうと思うと、「惜しかった」という感想を抱かざるを得ない。確かデュシャンは「まず食べるのに困らないようにするのが第一だ」という趣旨のことを言っていたと思うが、これは真実だろう。
それにしても、よくぞここまで調査し、発掘したものだ。この後、足利美術館、松濤美術館、長野県信濃美術館に巡回するらしいから、もう一度観に行きたいと思う。
平塚駅のすぐ海側の一角あたりにあった村井玄斎邸の跡地を確認した後、茅ヶ崎市美術館に回り、「岡本太郎のまなざし&湘南の原始美術」展を観る。神奈川県で出土した縄文土器に「太陽の塔」を思わせる造型があることがわかったのは、収穫だった。(続く)