目黒から中目黒へ

3月最後の日、目黒の東京都庭園美術館で「建築の記憶 写真と建築の近現代」展を観る。前半の江戸・明治期の写真(城、宮城、ニコライ堂など)の写真には圧倒的な「記憶の厚み」が感じられたが、時代が下るにしたがって、その厚みが薄れてくる(桂離宮を撮影した石元泰博の写真は別として)。現代の建築物には「記憶」と言うほどの歴史性が未だ備わっていないということなのかもしれない(すでに観にいらっしゃった方の評を前もって読んでいたため、なおさらこう感じたのだろう)。ただ前川國男丹下健三の建築の、存在感と威容を再認識することができたのは、ありがたい機会だった。会場内で東京都写真美術館のJさんに偶然出会い、ご挨拶した。
目黒駅まで戻り、そのまま権之助坂を目黒川のところまでくだって、川沿いの道をぶらぶら歩く。ちょうど桜の花が満開だった(まだ蕾がいくらか残っている枝もあったが)。昨晩からの雨と強風のため散ってしまった花びらが川面に浮いている。中目黒駅近くにくると、カフェ、飲み屋、美容室など、若者向きの店が増えてくる。土地柄というのか、どういう業態の店にも、ふさわしい地域・場所というものがあるようだ。東横線で帰宅。
先日、東京都現代美術館に行ったことを書き落としていたので、書き加えておきたい。あれは先々週の金曜日だったか、川俣正「通路」を観た。というより、ただ会場を歩いたという方がふさわしいかもしれない。
「あなたが歩いているベニヤ板によって作られた[通路]が、今回の川俣正のプロジェクトです。通常なら作品を並べることで意味や体系付けをする装置である展覧会で、ただそこを歩く観客の動線をつくる試みです。いわば図と地を反転させてしまい、美術館を始まりも終わりもない[通路]にします」(展示チラシより)
公立美術館の枠組みの下で、意欲的な試みかもしれないが、もう少し工夫があってもよかったのではなかろうか。特に観客の立場から少し距離があるように感じられた。なにしろ、ひたすらベニヤ板の壁で作られた「通路」が続くばかりで、ベニヤ板で隠された展示壁面には、今までの川俣のプロジェクトのスケッチなどが(これも解説抜きで)ランダムに掲示されているだけなのだ。川俣の経歴や今までの仕事を時系列的に紹介したパネルすら見当たらない(従って今回のプロジェクトを、今までのプロジェクトの延長線上に位置づけて理解するのがかなり難しい)。
川俣正川俣正で、改めて紹介する必要などない存在なのかもしれないが、初めてその仕事に触れる観客だって訪れるのが美術館という場だろう。いや大半はそういう人々かもしれない。そういう観客にとっては、これが現に進行しているプロジェクトであると理解するのは難しいだろうし、ましてこのプロジェクトに参加したという実感など持ちようがないのではなかろうか。
展示室には「ラボ」と呼ばれる作業場が設けられており、スタッフが何かのプロジェクトを進めているらしいが、これも本来はバックヤードで行われるはずのものだろう。観客にはこの「ラボ」と関わりを持つ手がかりは与えられていない。展示室に「ラボ」を設置する意味は、このプロジェクトが進行中であることを示すくらいで、それ以上のものは特に見当たらないように思えた。
清澄白河駅から美術館に行く途中、商店街の組合のスペース「いっぷく」で、小さな古書即売会が開かれているのを発見したので、帰り道に寄ってみた。いつも神保町の古書会館で開催されているアングラ・ブックカフェの常連店がそれぞれダンボール箱を1〜2箱持ち寄っているのだ。「リコシェ」の箱に面白い文庫があったので、2冊ほど拾う。知り合いが運営(?)している「東京セドリーヌ」のビラ(売上票)が挟まれていたので、驚いた。キャラメル・コーヒーを頂いたが、美味しかった。