関西放浪記(その3)

selavy2008-05-10

来た道を逆にたどり、石山駅からJRで京都駅に戻る。着いたのが3時15分頃。やはり下界は暑い。バスで京都国立博物館まで行き、「絵画の冒険者 暁斎 ― 近代へ架ける橋」を観る(連休最終日の夕方なのに、入館まで15分待ちだった)。
歌川国芳のもとで浮世絵を学んだ後、狩野派に転じて修業したそうで、河鍋暁斎といえば、しっかりした技術で描かれた、奇想天外な着想の絵を思い浮かべる。だが、実際は奇想の絵も正統的な絵も、細密画も大作も、西洋画の画題も大和絵も、何でもござれだったようだ。その幅の広い力量に比肩し得る画家は、たぶん北斎くらいではなかろうか。(蕪村を観た後だからだろうか、修業を積んだプロと、好きで描いているアマとの、画力の差というものを感じた。)
中でもパトロン勝田五兵衛の、14歳で亡くなったという愛娘田鶴の追善供養のため描かれた「地獄極楽めぐり図」全40図は、暁斎が心をこめて描いた愛情溢れる画帖で、たぶん代表作に数えられるものだろう(上図はその第34図「極楽行きの汽車」)。見ているだけで「これならあの世も悪くない。旅立っても全く心配ないなあ・・・」と思えてくるところが凄い。たぶん五兵衛夫妻も限りない慰めを感じたことだろう。この展示室が一番混んでいたが、それももっともだ。
他にも「閻魔大王図」、「一休と地獄太夫図」「北海道人樹下午睡図」「大和美人図屏風」などなど、どれも絵としての水準が高く、力作・傑作ばかり。すっかり堪能した。料理にたとえて言うなら、フランス料理のフルコースと満漢全席を同時に味わったような、圧倒的な満足感だ。
ただ、どの絵も品格の面では今一つで、蕪村には及ばないようにも感じた。これは幕末・明治という時代のためか、画家自身の傾向なのか、はたまたその両方か、難しい問題だろう(この点は同時代の富岡鉄斎などと比較して考えるとよいかもしれない)。
ともあれ、若冲蕭白、永徳と、日本美術の巨人たちの展覧会を立て続けに開催してきたこの博物館ならではの、きわめて高水準の研究に裏付けられた、素晴らしい展覧会だった。あえて言うと、展示解説に「・・・に注目したい」「・・・と見たい」など、「・・・たい」という表記が目立ち、熱心さは伝わってきたが、やや煩わしさも感じた。「・・・が注目される」「・・・と見ることもできる」など、もう少し変化をつけた言葉遣いとし、観客の判断に委ねた控えめな姿勢が望ましいように思う。
閉館時間に館を出て、バスを乗り継ぎ、烏丸御池へ。停留場の眼の前の「漫画ミュージアム」でも暁斎展を開催していたが、6時半に友人と待ち合わせているので、横目で見ただけだった。翌日の水曜日は休館らしく、見送らざるを得なかった。残念だった。
御池通りに面した小さなホテルに到着すると、すでに友人が迎えにきてくれていた。荷物を置いて、早速、近くの和食レストランに入り、焼魚などを中心に乾杯(連休で材料が手に入らないとのことで、いつも訪れる焼き鳥屋が休業。代わりに友人が探しておいてくれた店だが、雰囲気が良く、値段もリーズナブルだった)。暑かったのでビールがたいそう美味かった。見てきたばかりの暁斎展の感想を話して勧めると、「品格はどう?」と、友人が核心を突いた質問を発してきた。毎度のことながら鋭い人だ。
その後、近くの讃岐うどん店に場所を換え、肉うどんで〆る。さらに三条のシアトル系喫茶店に行き、あれこれと夜更けまで話し込んだ。翌日から仕事だというのに、遅くまでお付き合いいただき、感謝!