関西放浪記(その4)

selavy2008-05-11

5月7日(水)、朝9時半過ぎにホテルを出る。地下鉄で東山まで行き、歩いて細見美術館へ。10時の開館と同時に入り、開館10周年記念特別展「江戸絵画の夢と光り―若冲北斎とともに―」を観る。(右図はそのチラシ)
江戸初期の「豊公吉野花見図屏風」、「男女遊楽図屏風」や、北斎「夜鷹図」、同「五美人図」、若冲糸瓜群虫図」、同「雪中雄鶏図」、其一「文読む遊女図」など、この美術館が所蔵する名品をまとめて観ることができ、たいへん有難い展示だった(仏画の名品は次の企画展で展示されるようだ)。抱一「紅梅図」に出会えたのも僥倖というしかない。
酒井抱一(本名「忠因」)は、しばしば老中・大老を務める譜代の名門姫路藩酒井家の、後の藩主忠以の弟として江戸藩邸で生れ、他のいくつかの名門大名から養子に望まれるなど、次男ながら将来を嘱望されていたが、武家社会の立身出世より風雅の道を選んで隠居、文化六年(1809年)の暮れ、下谷根岸大塚村(梅に宿る鶯の里として有名にだったらしい)に「雨華庵」を構え、吉原の花魁小鶯を身請けして共に移り住み、明けた文化七年、初めての正月を迎えた。「紅梅図」はその描き初めの一幅。小鶯が寄せた下記の賛も、ほのぼのとした愛情(と情熱)が感じられ、好ましい。
「行過野逕渡渓橋 踏雪相求不憚労 行處蔵春々不見 惟聞風裡暗香飄 小鶯女子謹題」
その後69歳で亡くなるまでの20年間を、小鶯(妙華尼)と共にこの雨華庵で過ごしたのだが、ここで毎月、3の倍数と3の付く日、じゃなかった、1と6の付く日に、弟子たちへの稽古が行われたという。単なる二人の隠棲所というだけではなく、江戸琳派の重要な拠点でもあった訳だ。
直弟子の田中抱二が後に回想した見取り図が残されており、それによれば4室ほどの小邸で、敷地の過半を占める庭には、築山や小さな池も設えられている。今日の台東区根岸5丁目11番地に当たる場所に在ったそうだが、今はビルなどが建ち並び、昔日の面影は失われたらしい。

その後、京阪電車淀屋橋に出て肥後橋まで歩き、Calo Bookshop&Caféに行く。書籍流通の会社に在籍し、販売から企画・編集まで腕を奮っていたという女性のIさんが経営しているそうで、知人のブログなどを読んで、一度訪れてみたいと思っていたのだ。
ビジネス街の小さなビルの5階(ワンフロアすべて)にある、50平米ほどの縦長のスペースで、入り口寄りの右側壁面(と奥の正面の壁面)がギャラリー・スペース、左側がキッチン・カウンターで、奥がブックショップ&カフェとなっている。奥の右側には北向きの大きな窓があり、明るく開放的で気持ちがよい(照り返しで本が焼けるかもしれないが)。窓の反対側(奥の左側壁面)に書棚が4本あり、並べられているのは4000冊ほどか。
カウンター内に30歳くらいの小柄で眼のパッチリした美人が居たので、アルバイトの人かと思ったら、何とその方がIさんご本人だった。こんな若い方だとは思わなかった。とりあえず窓の下の眺めのよいカウンターに席を取り、噂に聞いていたカレーを注文して昼食にする(唐辛子のピクルス?で、辛さを好みに調整しながら頂くのだが、評判どおりたいへん美味しかった)。
食後、じっくり棚を拝見する。美術・写真・建築・デザイン関係の新刊書やブックレット・雑誌、さらには”sumus”、”spin”、「いろは」などの同人誌・情報誌のバックナンバーなどがセレクトされ、コンパクトながら尋常な密度の品揃えではない。ムナーリ関係の本や、ユトレヒトトムズボックスなどの絵本も充実している。嬉しくなって、つい真鍋博の「動物園」、「寝台と十字架」などを買い込んでしまった。