関西放浪記(その5)

selavy2008-05-12

地下鉄を乗り継ぎ、南森町まで行く。お目当ては天神橋筋商店街。古本屋さんが集まっているのだ。地上に出てからの方向が判らず、少し迷ったが、交差点から一筋目だった。アーケードがあり、それだけで懐かしさを覚えてしまう。車が進入して来ないので、安心して歩ける。
まずは天1のK閑文庫へ。ここは2階にあり、靴を脱いで上がるようになっている。人文書などが中心の品揃え。終戦直後の「美術手帖」の美本が揃っていたが、すでに持っており、見送り。
マルクス主義無政府主義アナキズム、左翼・新左翼、農民運動関係もなかなか充実しているので、店番のチャーミングな女性(たぶん美大かデザイン学校出身の方か)に、「こちらのご主人、学生運動の元闘士ですか?」と訊くと、「その世代より少し若いんやけど、関心あったようでなぁ。そのあたりは蔵書やったんです」とのこと。この場所も元は集会・研究会などを開いていたところだそうだ(つまり一種のアジトか巣窟か)。グラシン掛けの美しい新書版を1冊いただく。

続いて天3のH書房へ。商店街に面した「天3おかげ館」(倉庫のような感じだ)の、細い通路を入った奥の2階にある。ここは美術書の品揃えが凄い(和書・洋書とも)。すでに美術関係者・愛好家のたまり場になっているようだが、それも頷ける。(こちらの店内は明るく、鉢植えなども置かれているので、アジトというよりオアシスという感じか)
店主は2年前まで(デザイン関係か何かの)会社勤めで東京と大阪を往復する生活を送っていたそうだが、退職を機にこの場所で開店した由。奥の方の棚に平凡社の雑誌「太陽」瀧口修造特集号が置いてあったので、寄稿した記事の頁を開いて、簡単に自己紹介する。若いお客さんに瀧口修造の熱心なファンが1人いるそうだ。
展覧会や画廊のこと、開業前に通っていたという神田の古本屋さんのこと、現在の仕入れや市のことなどを話し込む。瑛九や松本俊介の珍しい文献を見せてくれたが手が届かず、結局、戦前・戦後の美術書・カタログを少しまとめていただいた(わざわざ横浜から来たというので、少し引いてくれた)。

H書房に1時間以上いたので、帰りの新幹線の時間が気になり始めた。駆け足で向かいのT牛書店に入る(写真)。古書店というより新刊書のような店構えだ。入り口脇のレジに(Caloとハナ書房の買い物の)紙袋2つを預けると、レジの女性(若奥さん?)が「こりゃ重いわ。ぎょうさん買われはったなぁ」という。「いやぁ、もう軍資金が足りなくなって・・・」などといいながら、早速、棚を拝見する。神田の古書市で大量に買い付けているという話を聞いていたが(注:その後、大量に買い付けているのはこの「T牛書店」とは別の、「T牛堺書店」だと、林薀蓄斎氏から教えていただいた。感謝申し上げます)、確かに文芸・人文書(それも比較的新しいもの)の品揃えに厚みを感じる。値段もまあ割安か。分野を絞ったブックオフとでもいうような印象。
感心しながら棚の間を歩き回っていると、その女性が「うちは江坂に本店があってな、そちらの方がもっとありまんのや。贔屓にしてや」と、わざわざ「天牛書店 100年の歩み」というリーフレットを持ってきて説明してくれた。ちょうど探していた最近の美術雑誌のバックナンバーがあったので、いただく。

古本屋さんはまだまだあったが、このあたりで切り上げることにして、JR天満駅を探しながら商店街を下る。途中、お布施を求めるお坊さんが、まるで歳末大売り出しか、福引の大当たりのように鐘を振っていたので、「さすがは大阪や。お坊さんもストレートやなぁ」と、こちらまで大阪弁になって笑ってしまった。
歩けども歩けども駅が見当たらないまま、大きな通りに行き当たった。どうやら天6まで来てしまったらしい。変だと思って信号待ちしていたおばはんに道を尋ねると、「商店街をまっすぐ行かはると、ガードレールがあってな、そのすぐ左やわ」と、歩いて来た方を指差して言う。「ガードレール? 見当たらなかったけど・・・」と不思議に思いながらも引き返し、急ぎ足で歩いていくと、先ほどのお坊さんが鐘を振っているところが、まさにガード下だった。お坊さんに気をとられて、見落としてしまったらしい。やはり他人様の様子を笑ったりするものではない。
JR天満駅から大阪に出て、そこから京都に向かう。大阪から乗ったのは快速のはずなのに、途中から各駅停車となり、後から来た急行か新快速?に2本も抜かれてしまった。指定席を押さえていた「こだま」に間に合うか、車内でヒヤヒヤし通し。実際、危うく乗り遅れるところだったが、何とか発車間際に駆け込めた(いつもギリギリ人生やなあ)。家に着いたのは11時近かった。